『ヤプー』の下敷き(1)

『諸君!』昭和58年(1983年)2月号より

『諸君!』十一月号において、私は「沼=倉田」説を論証する重要証拠として、『ヤプー』の構想を記した沼正三の手紙を引用した。昭和三十一年十二月十一日の日付のある手紙である。

しかし『ヤプー』の構想は、これより数カ月前に受け取った手紙にも、おおよその輪郭が記されている。同年八月十九日付のものをごらんいただこう。

《奇ク(『奇譚クラブ」=森下註)も、その後情勢不遇のようで、気の毒です。吉田氏(『奇譚クラブ』の発行元・曙書房社長吉田稔氏=故人=森下註)も愚痴が多いですね。私も空想科学を材料に英国人が日本人を征服して奴隷化し家畜化する長編を書いて見ようかと思っているのですが、奇ク自体の将来が危ぶまれるので、余り気乗りもしません。一度吉田氏に相談してみようと思っています。同好の人に見て貰うだけでいいので部数など問題でないのですが、(『奇譚クラブ』の収支が=森下註)欠損では吉田氏も投げ出すかも知れませんね》

この手紙には、その頃、沼が『奇譚クラブ』に連載していた「あるマゾヒストの手帖より」についての構想(掲載予定稿の簡単な説明)も添えられている。

・・・次号更新【『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙:森下小太郎・・・連載34】に続く