『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙

沼正三と天野哲夫・・・・・・(3)

沼正三の作品が別人の手により改変され、書き継がれるとしたら、やり切れない思いをするのは私だけではあるまい。かのトスカニーー二は、尊敬するプッチー二の『トゥランドット』を指揮するとき、未完だったこのオペラを別人が完成させたことを重視し、プッチー二自身の筆になる箇所の最後で一たんタクトを置いて聴衆にこう断わったという。

「皆さん、ここまでがプッチーの作品です。これからあとは弟子が完成させた部分なのです」

先に記したように、沼正三というのは、イタリア語の一単語(giubbia ラバ)についてさえ執拗に追究するほどの男である。他人の誤訳に対しては、それが善意のミスであれ悪意によるものであれ、飽くにとなく訂正を求めつづける。そうした彼が、作品の純血性にだけ無神経ということはあるまい。『ヤプー』にせよ、『手帖』にせよ、その純血が保たれることを一番望んでいるのは、沼正三自身であるべきである。

私にはよくわかっている。今回の”ヤプーの作者は誰か”をめぐる騒動の渦中にあって、内心の誇りと愉悦をもっとも感じているのは一体誰なのか。それは、厚いカーテンの蔭から、自作を演ずる道化の演技をじっと見つめている作者、沼正三自身である。

そして天野君には、もし貴君が本物の「沼正三」であり、イタリア語であの”恋文”を書いたのであれば、当然理解してくれるであろう言葉を書き添えておく。

歌劇『道化師』の最後の場面でトニオはつぶやく---。

”La Commedia e finita !”

・・・『諸君!』昭和58年(1983年)2月号:「家畜人ヤプー」事件 第三弾!沼正三からの手紙:森下小太郎・・・了