東京新聞(2002年5月2日 収録)より

人の故郷は不合理な場所である

私が仕事に求めるロマンというものもまたきわめて不合理なものである。ロマンの精神を数値で表わすことなどできない。ロマンというものがどこから湧いてくるのか、なぜそんな気持ちになるのか、合理的な説明をすることは不可能である。

合理的な精神の蔓延は当然、ロマンの精神を隅っこへと追いやることになる。

だから私はそのような風潮に異議を唱えたいのだ。

人間を合理的な存在に追い立てるものは科学だけではない。経済効率主義もまた人を無味乾燥な合理的な生き物にしていく。

効率と合理性を追求することが生産を増やし、より利益をもたらすのであれば、おのずと人はそのような思考と行動パターンばかりにとらわれていくことだろう。ビジネスで成功するためにより合理的で効率的なスキルを身につけようとみんな躍起になるわけだが、そんなものばかりの人間になったところで何だと言うのだろう。

もちろん、仕事をより合理的により効率的にこなすことは大事なことだが、そのことに偏り過ぎてただ合理性や効率だけを追い求めるロボットのような人間になってしまっては人としてどうなのか、ということだと思う。

私がオリバー君を連れてきたり、ネッシーを探しに行ったりするのは、そんな時代の空気に風穴を開けたいという気持ちがあるからだ。オリバー君やネッシーといったとんでもなく不合理な存在を世間という大きな池に投げ入れて、科学や経済やらの常識で凍りた水を撹乱したいのだと思う。

しかし、ここに来て、時代はまた逆回転し始めているような気配を見せ始めている。「科学的合理精神」や「経済効率主義」によってもたらされる生活に目標を見失い、窒息感を覚える人が急速に増えてきているのだ。彼らの何とかしなければという思いが大きなエネルギーになって渦巻き始めているのを感じる。

ただ、その窒息感から抜け出すにはどうすればいいのか、どんな方向へ向かえばいいのか、具体的な手掛かりやヒントが見えてこない人が大勢いるのだと思う。

・・・以上、虚人のすすめ―無秩序(カオス)を生き抜け (集英社新書)より抜粋