森下君の根拠の曖昧さ・・・・・・(3)

『潮』昭和58年(1983年)1月号

康芳夫氏は、堤君とは学友であり、私よりも長い付合いである。その彼が、『ヤプー』に関しては、終始変らず私の代行者として一貫して一体の関係にある。なるほど、康氏は「千三つ屋」という、千に三つしかホントがない、なぞとのアダナとも愛称ともつかぬ呼称があるが、私は、基本的なところで裏切られたことはない。生き馬の目を抜く世界を生きた海千山千のツワモノのこと、人がいうように天野との連帯にはそれなりの計算あってのことなのではあろう。だが、だからこそ、負ける側には絶対つかないであろうことも確かである。いや、彼は結構、彼なりの熱い正義観での、冷めた判断が一貫して働いているのである。森下君の、「いい加減、天野と手を切って、こっちと組めや」なぞのラヴコールは、笑い話の種以上にはなり得ない。

曖昧ではいけない、断定して言い切らないとスクープにならない、との、おそらくは堤君の檄によってであろう、第一弾で森下君は、「私の前、およそ十メートル離れたところに」当の本人、K氏がいた、と断言した。それが第二弾では「酷似している」に一歩後退している。TBS報道記者の取材に、彼は、「実ははっきりした記憶はないが、似ている感じがした」と答えたことを私にその
記者は丁重に教えてくれた。『諸君!』の断定ぶりと、大違いではないか。第一弾から第二弾において、なぜ一歩後退したのか。堤君は、演出者として、こういうところを目配りして手直しすべきであったろう。

・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載19】に続く