拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・9

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

上杉 高橋和己が書いてますけど、あれは違うし。

康 『邪宗門』の?あのレベルじゃダメだよ。個人的に知ってる人だけど、一所懸命やってて、おもしろい小説ではあるんだけど・・・・・・。出口王仁三郎は彼の手には負えないよ。それははっきり言った。彼は非常に憤然としてたけどね。天折しちゃって可哀相だったけど。

上杉 中上さんはそういうのに興味があったんですか?

康 興味があったというか、僕がよく話したこともあってデータベースというか、周りの人に取材してやり始めてた気配はある。出口王仁三郎のことは彼とよく話した。彼は深い関心を抱いていたと思う、僕の勝手な推測ですけどね。

上杉 僕は同じ年齢だけど、世代的にそういうのはわかります。関心はあったけど、正面から小説は書いてないですよね。生きていればそういうことをやってるんじゃないですか?

康 彼が選ぶべきテーマだと思うし、モデルとして選ぶ十分な条件は備えていたと思う。

上杉 僕とか戦後の生まれなので体験という意味ではわかんないわけです。

康 それは僕も同じですよ。12年ですから。

上杉 闇市の話とか、そこにいた人といない人では決定的に違うという感じがあるわけですよね。

末井 自伝でも書かれてましたけど、焼け野原のなかでむしろ活力が沸いて自由な、なんでもできるという風な感じは・・・・・・。

康 それは焼け野原だと空虚感もあるけどなんでもできるんじゃないかって気持ちになりますよ。だって今、六本木が空っぽになったら打ちひしがれた気持ちになるかもしれないけど、一方ではここからいろいろ作れるんじゃないかって気持ちが出てくるんじゃないですか?終戦後すぐ、新宿のコマ劇場のあたりなんて何にもなかったもん。みんな壊れちゃって。不思議な感じがしたのは覚えてるんだけどなあ。

これは壊れたわけじゃないけど、今の新宿のオフィス街の高層ビル、僕らが子どものころは浄水場だったの、そこに突然、ニョキニョキとできてきたでしょ。何もない空っぽのときを覚えてるから、夜中に酔ってふと高層ビル街とか、歌舞伎町の方を見ると夢を見てる気持ちになる。それも所詮フィクションですよね。僕の高校は歌舞伎町から10分くらいのところなんですよ本当に何もなかった。風林会館もなかった。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

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『Fukujin ~漬物から憑物まで~』明月堂書店

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