拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」・・・15

拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006

澁澤 レインなんかは否定してますね。

康 彼はプラグマティストだからね。レインは誠実な精神科医ですよ。だけど、あの人がやってることはあそこまでなの。でも、僕はラカンよりもレインをプラグマティックな意味では評価しますよ。

澁澤 過保護になっても仕方ないですよね。

康 レインの場合は枠内に戻すというのが大前提だから。それを矛盾として捉えていない。

澁澤 宗教家の救済の話と今の話って少し繋がってますよね。

康 うーん。それはよくわからない。レインやラカンの話?

上杉 僕らは全共闘じゃないですけど、時代的にレインの反医学とか流行っていて、開放治療と閉鎖治療の話がありますよね。千葉大とか陽和病院とかそういう流れは今は全然・・・・・・沖縄の問題で島成郎さんは出てくるかもしれないけど、あまり出てこないんですよね。村上春樹が『ノルウェイの森』を書いて、閉鎖病棟が一般的で開放病棟があるってことは知らないんですよ、今の人は。

康 誰が知らないの? 村上春樹?

上杉 一般的な問題です。

康 うーん。

上杉 そういう形で問題になったことがないような気がする。ただ、レインは一時期の精神分析思想の潮流の話としてはあるけれど、今は問題になってないと思う。

康 レインの場合は彼に患者に対する精神病理の理論家として優れた点はないんですよ。ただ、人間としての愛情の面では、患者のリカバリーを考えたときに彼の努力は評価しないといけないと思う。それは僕の考え。レイン、ラカンに関しては島成郎ともよく話したが、彼は勿論実践家としてレインに非常に近かったと言える。

澁澤 救済ってそういうことなんじゃないですか?

康 僕が言ってる救済の意味はちょっと違う。宗教家が救済とか解脱とかなんでそこにこだわるのかということ。

澁澤 解脱すれば救済されると思うからじゃないですか?

康 いや、解脱ってことにこだわるじゃない。こだわる理由がわからないって言ってるの。解脱するのは構わないんですよ。でもこだわることはないんじゃない?

澁澤 傾向の問題として、こだわる派とこだわらない派ってあるんですよね。

康 もちろんそうです。然しながら一般的な場合ではこだわっているような気がする。こだわりたい時にはこだわればいいし、こだわりたくなければこだわらない。それが自己解放の本当の意味だと思います。僕は宗教的解放のことがよくわからないから。皆様が判断されると僕の言っていることは大まかすぎるかも知れないが。

・・・以上、拝聴 康芳夫先生「神を呼ぶ男」:Fukujin N0.11 2006 より抜粋

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