原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇 』1969年 No.4より

原理としてのマゾヒズム<家畜人ヤプー>の考察:安東泉・・・『血と薔薇』1969年 No.4より

「倫理(サジズム)の消滅」とともに霧のごとくに消えてしまうのである

そこにおいては人間は絶対的なものから相対的なものに堕し、第三者の目でながめられる多種類のきめて偶然的な生物の一種として遠望され、体制的な「国家民族主義」の秩序が「国境の消滅」とともにナダレを打って崩れるごとく、体制的な「生殖子宮主義」の秩序が「倫理(サジズム)の消滅」とともに霧のごとくに消えてしまうのである。人間が自然から独立し、子宮から独立し、オルガスムスを独自なものとして回復するには、マゾヒスチックなイマジネーションの壮大な大設計図が描かれねばならない。『家畜人ヤプー』は一の奇妖な大設計図として描かれた。

「子宮主義」と全的に訣別を告げた非倫理主義的独自なオルガスムスと、空想力をその飛翔の翼とし、女性の権力意志による快的状況とをどこまでも追究していった執拗な執着ぶりとが、「ヤプー世界」の設計図を可能ならしめた。

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