家畜人ヤプー(都市出版社)

2015.8.19発行 NO:0020

家畜人ヤプー倶楽部(家畜人ヤプー全権代理人 康芳夫)

昭和四五年七月 沼正三:家畜人ヤプー(都市出版社)より

2015/09より毎月 第1月曜日(祝祭日・年末年始を除く)発行
http://yapou.club/

http://www.mag2.com/m/0001642004.html より抜粋

小生メルマガ読者諸君の購読を感謝申し上げる。本メルマガは、小生と小生が全権代理人である『家畜人ヤプー』の情報を配信中だが、以下プレスリリースにより

『康芳夫』と『家畜人ヤプー』を明確に切り分けることとした。

◆康芳夫
虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)

※真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。

◆家畜人ヤプー
家畜人ヤプー通信 あらため 家畜人ヤプー倶楽部(家畜人ヤプー全権代理人 康芳夫)として本号よりリニューアル。

※【全地球を睥睨(へいげい)するスフィンクス『康芳夫』メールマガジンそして『家畜人ヤプー』通信】あらため2015/07/24配信以降、家畜人ヤプー全権代理人 康芳夫による【家畜人ヤプー倶楽部(会報誌!!)】にリニューアル・・・配信内容:45年(1970年(昭和45年))前、大反響を呼んだ『家畜人ヤプー倶楽部』が、2015年夏(8月)に復活。定期開催、家畜人ヤプー倶楽部開催情報,『家畜人ヤプーに関する各種文献』,『家畜人ヤプーエンターテイメント情報』,『その他、随時特典等』。※読者は本メルマガ購読により、家畜人ヤプー倶楽部会員に。・・・家畜人ヤプー倶楽部への参加お待ち申し上げる。康芳夫

※2015/09より(配信サイクル・価格):「毎月 第1月曜日 祝祭日・年末年始を除く」に変更・価格100円(税別)/月

◆家畜人ヤプー文献:『昭和四五年七月 沼正三:家畜人ヤプー・普及版(都市出版社)より』

初版本が好評で数刷を重ねた。全改訂版の普及版を作るから、今度こそ自跋を書け、と代理人天野哲夫君の厳命である。筆を執ったが、複雑な感慨がある。

沼正三死亡説もあるそうだから、本人にしかできない古い話から始めよう。

終戦の時、私は学徒兵として外地にいた。捕虜生活中、ある運命から白人女性に対して被虐的性感を抱くことを強制されるような境遇に置かれ、性的異常者として復員して来た。以来二十余年間の異端者の悩みは、同じ性向を有する者にしかわかるまい。昼の私は人と議論して負けることを知らなかったが、夜の私は女に辱しめられることに陶酔した。犬となって美女の足先に戯れることが、馬となって女騎手に駆り立てられることが、その想念だけでも快感を与えてくれた。被虐と汚辱の空想の行きつくところに汚物愛好も当然存在した。

祖国が白人の軍隊に占領されているという事態が、そのまま捕虜時代の体験に短絡し、私は、白人による日本の屈辱という観念自体に昂奮を覚えるようになって行った。かつては学徒兵らしく背嚢に『講孟余話』の文庫本をしのばせ、神国日本の護持を誓った私なのに、市ヶ谷の戦犯法廷に天皇が被告とされないことが決ると、ホッとしながらも物足らなさを覚えたものだ。断わっておくが、思想的に天皇制廃止論をどうこうということはなかった。天皇の神聖性は、それが戦争中の心の拠り所だったからこそ、その破壊が自虐的昂奮を喚起しえたのだろうが、その心的機制は今でも十分に明らかとは言えない。

久米正雄の「日本米州論」、志賀直哉の「フランス語国語論」が本人は大真面目の議論として総合雑誌を飾った時代である。日本人の人種的劣等感は正当視されていた。私は日本中が沖縄のように植民地化されたら、と妄想した。当時ナチスは狂気の集団と断罪されていた。理性ではそれに賛同しつつも、ナチスの人種理論は正しいのではないかという感じを捨てかねた。全面講和か否かが論ぜられ、一国民としては講和による占領状態の終結を期待しながらも、裸の人間としては占領継続をこそ希望した。Occupied Japan という字面の屈辱感を失いたくなかったからだ。こういったAmbivalenzに悩まされつつ、講和の日が来て、日本は独立国家に復したが、私の内心の屈辱願望は、被占領状態を失ってますます完全な隷属を求めるようになり、それだけいよいよ飢渇して行った。

そんな頃であった、私が『奇譚クラブ』という、奥野健男氏の初版本巻末解説の表現を借りれば「極めて真面目な」風俗文献雑誌の存在を知ったのは。奥野氏は、筆の綾からか、まるで廃刊したように書いておられるが、現在まで引き続き発行されている雑誌である。あらゆる種類の性的偏向者のカタルシスのため門戸を開いていたと言ってよいが、主力はやはり、いまいうところのSM(いまでこそその方面の愛好家にはこれで通るが、当時は十人に一人しか理解せぬ略語だった)であった。私は沼正三(ちなみに、これは Ernst Sumpf というドイツのSM研究家の名から採ったものである。 Sumpf は「沼」の意)という筆名を用い『ある夢想家の手帖から』という題名で、内心の願望に即した随筆的短章の連載を始めた。当時この雑誌以外にこのような文章を発表しうる公刊逐次刊行物が存在しなかったことは断言してよい。今でこそ「極めて真面目」と賞められるが、当時はきわめつきの「悪書」であった。いや、今でも多数の人にはそう言われるのであろう。猟奇の読物としてでなく、自己の性向に応じてのカタルシスのために、こういう雑誌を必要とする人は、いつの世にも絶対少数者なのだから。

この雑誌には、マゾヒストによるマゾヒズム小説(余談ながら、『饒太郎』から『瘋癲老人日記』に至るまで、谷崎潤一郎の作品の多くはかく形容せらるべきものであり、その限り、正常人の理解し難い壁がある。健全な批評家による谷崎論の不備を私はいくつも指摘できるつもりである)が幾篇も載せられており、鬼山氏の『らぶ・すれいぶ』、真砂氏の『二百字讃歌』など、名作があった。しかし、私の飢渇感は、決して十分には医されなかった。私の夢想する完全な隷属状態に比しては、それらの作品の場面は余りにうす味であった。人権の存立する現代の日本の男と女との間に可能なのは畢竟『痴人の愛』のナオミと譲治の間におけるようなSMのプレイに過ぎない。プレイでない本当の隷属状態は、奴隷制とか捕虜状態とかの、制度的契機を必要とするのだ。

古典的マゾプレイ小説である『毛皮のヴェヌス』は例外として、ザッヘル・マゾッホの諸作品は、女王や女領主を讃美する史的短篇であり、隷属の制度性という点ではある程度満足させられたが、オーストリア帝国の検閲が彼の表現を宿命的に制約し、隷属心理の極北である汚物愛好の描写は、彼の──私信にはあるのだが──作品には絶えて見られない。その点、公刊を意図せずに成立したサド侯の著作は、そのような禁忌なく、あらゆる社会的タブーに挑戦しているし、隷属と屈従の心理の制度的契機とか濱神行為に伴う性的快感とかについての透徹した認識の点でも、マゾッホより遥かに高い絶対値を持っているが、遺憾ながら、SとM、正と負の符号が私の求めるのと逆であって、被虐願望は満足させられない(『ソドムの百二十日』を初めて世に出したデューレンは、百年前にクラフト・エビングの『病的性心理』を先取りした書物と評したが、然らず。男性マゾヒズムの視角はサドには全く欠けている。ボーヴォワールが「うんこの饗宴」と評した所以の汚物愛好なども、外形的行為は同じでも、符号が違うのだ)。

性科学文献も渉猟した。許多の症例の記述に自己の鏡像を見出し、しばし渇きは消えたかに思われた。しかし、西洋性科学者の患者は白人であり、その限り、皮膚の色に由来するマゾヒズム的自虐感の問題は彼らの関心から全然欠落している。そして、日本の性科学者も、独自にこの問題を見出してはいなかった。日本人の白人への劣等感がマゾヒズムとどう関係するかは、私だけの問題であるようだった。

一方、私はSF(これも、当時は通用の概念ではなかったが)にも嗜好を持ち、神田の古書肆の米兵の読んだペーパーバックの山の中からSFを選り出しては購い、貪り読んだ時期があった。その一つ、チャペクの『山椒魚戦争』(War with the Newts)は、当時訳本も出たが、人類に奉仕する知性ある家畜の可能性と有用性を教えると同時に、その種属に読者として感情移入した私を強く昂奮させた。逆に人類に君臨し、人類を知性ある家畜として使役する他星人の物語も多く、これも私を喜ばせた。人類は、知性ある家畜を使うこともできるが、自らそれになることもできるのだ。ナチスがもし勝っていたら、人類は二つの亜種に分れたかも知れない。そしてナチスが敗れたということは、マクロの人類史からは偶然の小輸贏に過ぎない。自由や平等や人権などを人間進歩の必然的産物と考えるのは、歴史的現実の既成事実に囚われ過ぎた見方ではあるまいか。生物科学的にはどんな人間像だって可能なのだ。SFは私にそれを教えた。

内心の飢渇を医すため、私は、イース世界を構想し、夜ごと訪れるようになった。其処では日本人が白人に隷属しているのであり、その隷属は完全な家畜化の段階まで制度化されているのであった。権力はもちろん女性が握っていなければならない。・・・・・・だが、構図・素描・彩色と部分に至るまで細密画として仕上げるためには、一つ一つの表象をその都度文字で定着してゆく必要があった。

こうして、私は、生れて初めて、小説を書いてみる気になった。

・・・以上 2015.8.19発行 NO:0020 家畜人ヤプー倶楽部(家畜人ヤプー全権代理人 康芳夫)より抜粋