ニューヨ―ク・タイムズ:康芳夫

【虚業家宣言(2)】

◆『ニューヨーク・タイムズ』で大特集

なかでも『ニューヨ―ク・タイムズ』は、この二月三日の日曜版(日曜版の発行部数は約百五十万部)で、私のために、ほぼ一ぺージを割いている。三島由紀夫さん(私は彼と親しくしており、私の仕事のうえで彼の世話になったこともある。詳しくは後の章で書くつもりだ)が、市ケ谷の自衛隊に乱入、割腹して死んだときに、『ニューヨ―ク・タイムズ』がどのくらいの扱いをしたか、存知だろうか?四半ぺージ、つまり一ページの四分の一だった。

世界的な大作家三島由紀夫が、腹かき切って、自分の命と引き換えに、わずか四分の一ページ。私は“ホラ〃をひとつ吹いて、それで一ページである。

何もページが多いから、私が三島さんより優秀な人間だなどと言うわけではなが、一つの人間評価の基準にはなるだろう。

参考までに、そのロイ・ボンガルツ記者の書いた『ニューヨ―ク・タイムズ』の私に関する記事を引用しておこう。

An Eastern Dreamer In Pursuit Of A Western Monster
(西欧の怪獣を追い求める東洋の夢想家)

《昨年秋、ネス湖の怪獣を求めて探検隊を組織、ネス湖に乗り込んだ日本の夢想家・康芳夫に初めて会ったとき、彼はグレン・アルクハルト・ロッジ・ホテルのテラスに立ち、刻々と闇に包まれていくネス湖の水面を見つめていた。彼の美しい髪は肩より下までのび、彼の表情は穏やかで、自信に満ちあふれていた。彼の目鼻立ちのハッキリした顔、なかでもグッと鼻筋の通った鼻は、さながらスー族の勇者のような威厳を感じさせる。彼は探検の結果についてはまったく心配していなかった(確率は五分五分だと彼は言っていた)。現在、康氏一行はすでに日本に帰っている。彼らはこの春の再度の探検に備え、目下、水中カプセルの準備中である。

康氏率いる探検隊の一行が、スコットランドにとって、当初、かなり目ざわりなものだったのは確かだ。水際までモミの大木が生い繁り、その背後には峡谷と大森林、そして霧深い高原地帯が広がるスコットランド。だが今や、康氏によってその風景すら描き変えられたようだ。湖岸に立つアルクハルト城の廃櫨や、雲間を破って洩れる太陽の光さえ東洋的に見えてくる。康氏は三十六歳。もしネッシーが見つかったら生け捕って日本へ持ち帰ると言う。一匹見つかれば、この湖には他にもたくさんいるはずだ、というのが康氏の考え方だ。興行師として彼は、これまでにもずいぶんと大きい仕事をやってきている。今日までに、モハメド・アリ、ボリショイ・バレー、エルヴィス・プレスリー、トム・ジョーンズを日本に呼んだ(プレスリーはまだ呼んでない―著者注)。六前には、車、トライパーもろとも『インディ500』を日本へ呼んでいる。結果的には百ドルの赤字だったというが、彼は別に残念がるふうでもない。彼は日本の若いソル・ヒューロック(世界的な音楽プロモーター、マリア・カラスをマネージメントしていた)である。

なぜネッシーを日本へ連れ帰りたいかの理由を、康氏はこう説明してくれた。「今日、世界中の人間が、日本人も、アメリカ人も、イギリス人も、すべての人間が夢を失っているというのが私の哲学です。彼らは何の夢も持たずに生きている」

だが、「私には夢がある」と康氏は言うのである。

彼はニューヨークに住んでいたことがあるというのに、英語はさほどうまくない。だが彼の言わんとしていることはこうだ。

「われわれ現代人はもっともっと夢を抱くべきだ」(私が彼の趣味をたずねたとき、彼は眠ることだと答えた)。

「現代人に夢を与えるために、私は、この金がかかり、時間をくう仕事を計画したのである」とも言っていた。

「私は十二歳のとき、雑誌でネス湖の怪獣のことを読んで興奮したものだ。私は冒険好きな少年で、高等学校のときには世界を股に七つの冒険をする計画をたて始めていた。大学を出て興行の世界に入ったが、私は片時もこの計画のことを忘れなかった」

第一の冒険(ネッシー探検)が終わったら、次のにかかる準備ももうできてい。すべてをやり終えるのに五年はかかるだろう。今後の冒険については今は言えない。ただ、ネッシー探検が第一の冒険であることは確かで、これこそ、二十世紀最大の謎だ、と康氏は言うのである。

いずれにしろ、ネッシ-ほど長い間親しまれてきた"怪獣"はいない。五六五年、日曜礼拝中のコロンバ牧師の眼前で、船乗り二人が怪獣に襲われ、一人が死亡したという記録が残っている。当時の記録によると、

---その場に居合わせた者全員が恐怖にかられた。だが、師が空中に十字を切り、その男に触れるな、去れ、と怪獣に命ずると、その怪獣はアッという間もなく水中に姿を没した---

ネッシーの他にもスコットランドには多くの怪獣が存在しているという伝説が残されている。塩水の海峡に住むと言われる青い顔をした"ミンチの青入道"、ランノッホ湖の"水魔"、オー湖の怪獣などなど。世界的に見ても怪獣がいると考えられている海や湖は少なくない。ニューヨーク州とバーモント州との州境にあるチャムプレイン湖、ブリティッシュ・コロンビア州のオカナガン湖などがいい例であろう。バルチック海には島と見まごうほどの大怪獣がいるとされている。

しかし、ネス湖の怪獣ほどやっかいなものもいない。これまでにも何回となく写真が撮られたりしながら、かんじんなことは何一つわかっていない。むしろ地元住民はそれを楽しんでいるようでもあった。だから、康氏の率いる日本隊が昨年九月に到着したときには、地元住民たちが警戒の色を示したのは当然だろう。麻酔銃を使うなどとんでもないことなのだ。スコッチ・オフィスの厚生省はすぐに声明を出した。

「そういう武器は住民が危害を受けそうになったとき以外使用を禁止されている。ネッシーは危険な動物ではない」

ここ十三年間、ネッシー調査に従事、ネッシーに関する何冊かの著書もある英国の怪獣探検家・ティム.ディンズデールも疑いの目を向けたし、一万五千時間以上もネッシーを監視中のフランク・サールも、数シーズンにわたって音波探知器で調査中のマサチュセッツ応用科学協会のロバート・ハインズ、リー・フランクも当初日本隊を歓迎しなかった。地元で七年間、ミヤゲ物店を経営してきたホリー・アーノルドやディック・レイナーにとっても日本隊は決して有難くなかった。怪獣の正体がハッキリして商売が成り立たなくなることを恐れたのだ。

しかし康芳夫氏の謎のような徴笑と人を魅きつける瞳によって、数週間後には日本隊は彼らとごく親しくなっていた。日本隊はスコッチ・オフィスからの許可も得、マサチュセッツ大チームとの協力も約束された。ホリー・アーノルドや、ディック・レイナーなどは日本隊の正式な隊員になってしまった。

康氏は今度の計画のスポンサーについては詳細を語りたがらない。日本の大企業三社が匿名を条件に資金を出してくれたと言うのみである。

「私は神秘なものに対して情熱を持っているのです。それだけの理由しかない。スポンサーも、その点は了解してくれていて、これで儲けようなどとは思っていない。しかし、もし成功すれば、テレビの宇宙中継料として莫大な金を得るのも事実です。そのときには英国民にも利益の一部を還元するつもりです」

日本隊は十二月二十九日に日本に帰ったが、康氏は日本で、

「ネス湖は完全に調査した。来年はコンピューターで作成する音波探知器やTVカメラをつけたカプセルを沈める予定だが、その基礎調査としては十分だった。しかも、二人のダイバーが、十五メートル、三十メートルの地点で何かの鳴き声を耳にした。うなぎに似ているが、ハッキリしない」

と発表している。

私と康氏が話をしている間、ずっと、彼のガール・フレンドが傍にいた。ロンドンのブルック・ストリートで日本レストランを経営しているそうだ。その彼女の目にも康氏と同じように心を落ち着けるような光が宿っていた。

康氏が借りた桟橋のところで、私は、「もし、ネッシーを見つけたら、どうするのか」と聞いてみた。彼は深々と体を曲げ、大げさに手を広げながら、こう言った。

「すべては女王陛下の御意のままです。捕えろとおっしゃれば捕えます。そして何匹かの怪獣がいるはずですから、一匹を女王陛下に、あとの残りを天皇陛下、毛沢東主席、蒋介石総統に一匹ずつ差し上げます」

彼らが帰国する前にかなりの雪が降った。康氏たちは寒さや、湖の暗さや、冬のスコットランドの悪天候など数々の危険をおかして仕事をした。悪魔払いの権威で、今年七十になるドナルド・オマンド師は、ネッシーには悪魔の力があるといって、昨年夏、湖上にボートを浮かべ悪魔払いの式を実行した人だが、彼の警告するところによると、「これ以上、ネッシーを追うのは危険だ。怪獣を追う人々は、しばしば精神に変調を来たす」と言う。

だが、康氏は微笑しながら、最後にこう語った。

「世界の人々の夢を満たすのが私の仕事です。これこそ、価値ある、やりがいのある仕事と思いますが、どうでしょう」》

では、私の"虚業家"としての名声と地位を不動のものにした『クレイ戦』のことから始めよう。

・・・次号更新【『クレィを日本へ』】に続く

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