康芳夫

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小生インタビュー記事

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【虚業家宣言(5)】

◆七年がかりの『シャガール展』

しかし、石原さんから「神さんのところへ行かないか」という話しがあったとき、私は神彰なる人物についてはほとんど知らなかった。

「とにかくおもしろい人物だから、会っておいて損はないよ。一度、会うだけでも会ってみないか」

ためらっていた私を石原さんはそう言って説得した。

そこまで言ってくれる石原さんの顔を立てて、私が、日本橋にあった『アート・フレンド・アソシエーション』の事務所を初めて訪れたのは、昭和三十七年の五月。今でもそのときのことは鮮やかに覚えている。

事務所のドアを開けると、そこには神さんがいた。初対面だったが私にはそれが神さんだということが一瞬でわかった。そして、神さんと視線が合ったとき、私は、「この男となら、何かやれそうだ」と考えていた。

そういう私の心を見透かしたように、挨拶も抜きで、神さんは単刀直入に切り込んできた。

「あなたが康さんか。石原さんから聞いている。手伝ってくれるだろう」

「いいでしょう」

『アート・フレンド・アソシエーション』は、三十六年に、これも日本初公演のアート・ブレイキーを呼んだ。翌々年には、神さんが七年がかりで世界各地のコレクターからOKを取ってやっと実現までこぎつけた『シャガール展』が大評判となった。神さんのもと仕事をしながら、私は、”呼び屋”のルーティン・ワークを一つ一つ体で覚えていった。

神さんは決して、細かいことで文句を言わなかった。「自分自身で気がつかない限り、人がいくら言っても、本心から納得することはないんだ」そう神さんは言った。

契約書のサインの位置を私がミスしたため、ある契約が無効になりかかったことがあった。そういうときでさえ、神さんは黙って、私が、ーからやり直すのを見ていてくれた。

・・・次号更新【『大西部サーカス』で大失敗】に続く

◆バックナンバー:虚業家宣言

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