対談=山本信太郎×康芳夫

◆対談=山本信太郎×康芳夫(週刊読書人 2013 8月23日より抜粋)◆

山本信太郎 ニューラテンクォーター #wikipedia

「夏草や兵どもが夢の跡さらば昭和、さらばニューラテンクォーター」

山本信太郎著『昭和が愛したニューラテンクォーター ナイトクラブ・オーナーが築いた戦後ショービジネス』刊行を機に

昭和三十四(一九五九)年十二月十一日、東京都港区赤坂に東洋最大の本格的ナイトクラブ、ニューラテンクォーターが誕生した。その大人の社交場で繰り広げられたショーの数々。トリオ・ロス・パンチョス、ナット・キング・コール、ザ・プラターズ、ルイ・アームストロング・・・といったスター達が登場し舞台を彩った。その伝説的ナイトクラブ・オーナーの山本信太郎氏が当時のショービジネスを回想した『昭和が愛したニューラテンクォーター』(DU BOOKS)を上梓した。本書刊行を機に、ニューラテンクォーター開店十五周年に行われたトム・ジョーンズショーに関わっていた呼び屋・康芳夫氏と対談をお願いした。

二人の接点はトム・ジョーンズ

康 数日前にニューラテンクォーターがあったホテルニュージャパンの前を歩いたんですよ。今は超近代的なプレデンシャルタワーが建っていて見る影もない。まさに芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」でした。僕の頭の中にニューラテンクォーターの幻視感が非常に強烈にあるから、現実のプレデンシャルタワーを見ながら、一体どっちがどっちなんだと夢みたいな気持ちでした。

山本 まさしく「夢の跡」です。私も月に一度はラテンの近くの歩道橋で人の流れを見て当時を思い出すんです。自分の人生そのものでしたから。

康 山本さんの本を読んでびっくりしたことがあるんです。山本さんの叔父である吉田彦太郎氏のことです。戦後日本のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫氏の児玉機関の副機関長をされていた。吉田氏は二・二六事件の北一輝銃殺に反対して投獄されているんですね。僕はずっと北一輝の研究をしていて、これから本を書こうと思っているけれどそのことはまったく知らなかった。銃殺に反対するなんて、天皇に対する大逆罪ですから下手したら死刑ですよ。吉田氏のように二・二六事件で体を張った方はほとんどいないと思います。すごい叔父さんをあなたはお持ちですよ。

山本 二・二六事件とラテンは縁があって、ホテルニュージャパンのあった場所は、二・二六事件の反乱軍の兵隊たちが立てこもった料理店「幸楽」の跡なんです。その「幸楽」が火災になって、跡に出来た旧ラテンクォーターが火災になって、その後にできたホテルニュージャパンがまた火災にあっているから火に呪われた場所なんです。

康 吉田氏も心酔していた頭山満翁が創立した玄洋社についても非常に興味があるんです。その流れをくんだ進藤一馬氏と僕は何回もお会いしたことがある。本にも出てくるけれど進藤氏は当時福岡市長で、僕はあの頃に呼び屋としてサーカスの巡業で福岡に行ったりしていたので。

山本 進藤市長が地元の河川工事の陳情で東京に来られたんです。その時に私が案内役を吉田叔父貴に言い遣った。でも私は右翼団体とはまったく縁はないんですよ。育ちはその真っ只中にいたんですけれど(笑)。

康 運命的に巻き込まれたんですよね。言ってみれば産まれた時から旧児玉機関関係者が周りにごろごろ居たわけですから。私も右翼でも何でも無いんですけれど北一輝との関連を調べる上で大変興味がある。

山本 福岡はそういう気風があるんですよね。軟派じゃなくて硬派なんです。東京に吉田がいるので、福岡の当時の不良が東京に来る。だからラテンの周りには吉田の番頭や子分が多いんです。児玉先生は直系の子分がいないんです。それで児玉―吉田のラインがうまくいったんだと思います。

康 その吉田氏から、当時博多でキャバレー業を営んでいたお父様を通して、ニューラテンクォーターの話がきたわけですね。ラテンの背景が『東京アンダーナイト』には詳しく語られていて、今回の『昭和が愛したニューラテンクォーター』は主に音楽のショービジネスのことが中心に語られているけれど、合わせて読むと戦後の重要極まる裏面社会史の一部が浮かび上がってくる。

山本 康さんはラテンのお客様でもあったし、昔から共通の知人も多く知っていたけれど一緒に仕事をしたことはなかったですね。

康 勝新太郎さんやいろんな人とラテンへは入りびたりだったけれどそれはただの客ですから。でも、一九七三年のラテンの開店十五周年の時に、僕は日本にトム・ジョーンズを呼んで、本にも度々登場する当時TBSのプロデューサーだったギョロナベこと渡辺正文君経由で繋いでもらった。トム・ジョーンズのコンサートで一人十二万円取ったでしょう。

山本 総攻撃をくいましたよ(笑)。

康 だから山本さんに大変ご迷惑をかけちゃった。それは山本さんがボッタくったわけじゃなくて、トム・ジョーンズのギャラが高かったからですよ。

山本 従業員もみんな反対したんです。ショービジネス上のパートナーだったキョードー東京の永島(達司)さんたちも反対した。

康 キョードーさんとは僕も対立関係にあったけれど、山本さんが押し切ってくれたので非常に助かりました。

山本 あの英断をやったことがその後のラテンの繁栄に繋がったんですよ。でもお金の前にトム・ジョーンズが来るか来ないか心配で(笑)。

康 これは少しウラがあって十二万という値段を聞いたトム・ジョーンズのマネージャーが日本公演をキャンセルしてきたんです。とんでもない馬鹿なことをやるなら行かないとね。もっとも、考えて見れば奴等の云い分も全然根拠がないわけではない。ラスベガスのホテルのショーでもせいぜい一人一万円程度ですから。だから僕はすぐにNYの強力な顧問弁護士を立てて、いきなりトム・ジョーンズのラスベガス行きにストップかけちゃった。この問題にケリがつくまでロンドンから出てはいけないようにロンドン地区裁判所に訴えたんです。一方ではトム・ジョーンズ側に「てめぇたちがいくらギャラとっているか公表するぞ」と。そうすると相手はたちまちお手上げになった。山本さんがものすごく高い値段をつけたように思われているけれどもとはと云えばトム・ジョーンズ側が悪いんですよ。ちなみに僕の顧問弁護士はモハメド・アリ徴兵拒否裁判で勝利した世界的にもヤリ手として知られている弁護士です。今でもケネディ家その他の顧問弁護士です。

山本 そういうウラがあったわけですね。初めて聞きました。本を書く前に聞いておけばよかった(笑)。

康 僕が山本さんに買ってもらった値段は法外(一日一回ショー約一時間、三四〇〇万円)だったから山本さんは一二万円を取ったって儲けがない。あの時に山本さんはすごいなと思いましたよ。

山本 でもこれは大ヒットでしたね。トム・ジョーンズのショーのダイナミックな迫力でお金に代えられないラテンの信用と全国的なPR効果があり、真に日本一の名声を博しました。

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