『血と薔薇』1969.No4

『血と薔薇』1969.No4
エロティシズムと衝撃の綜合研究誌

特集=生きているマゾヒズム より「いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート」:平岡正明(wikipedia)

※1969年2月、康芳夫の誘いで天声出版に入り、澁澤龍彦の後任者として『血と薔薇』第4号(天声出版)を編集

◆いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート・・・(連載5)

戦前、小田原市にこんな事件があったと伝えられている。まだ追跡調査はしていない。

男の首なし死体が小入幡海岸というところにうちあげられた。国鉄国府津駅と鴨ノ宮駅の中間にある漁場で、潮の流れで、ここにうちあげられたものの起点が小田原海岸の早川口であることは土地の者に知られている。被害者の身許わりだしは困難だったが、手の爪に藍色の染料が附着していたことから染物屋関係の者であることがわかった。市内に、亭主が姿をみせなくなった紺屋が一軒あった。その店の内儀と若いつばめがしょっぴかれることになった。戦前の警察の、筋金入り党員もネをあげた訊問を一月以上うけても女は口をわらなかった。男の方が耐えきれずに白状した。女はそれを知ると、男をキッとにらみすえて、おまえさん、しゃべったね、といいざま舌を噛みきって死んだ。鰤漁で栄えてきた町の気性の烈しい男たちは、彼女を烈婦の鑑と評している。

女がしゃべらないとなったらテコでも口をわらないという例は日常生活のなかでもごろごろころがっている。それでも、菊屋橋一◯一号の黙秘はこれまで類例をみないものだ。読んだかぎりで彼女の黙秘を報じた記事は四本ある。

写真の掲載された『夕刊フジ』3月12目号。この写真はすこし修正されているようだしモンタージュかもしれない。『ヤングレディ』4月21目号。「徹底抗戦!黙秘で新記録をたてたゲバルト・ローザの八十日問」という惹句がつく。『毎日新聞』そして『週刊新潮』5月10日号だ。この記事では彼女の身許はわれている。年齢二十七歳、東大工学部大学院生、某出版社に勤める三十一歳の夫がおり、彼女の実家は埼玉県入間市にあり、六人兄弟の長女であること---ここまでわかれば、当然、サツの方でもウラを取っていることとおもわれる。彼女は二月一日、菊屋橋一◯一号の名で東京地検から起訴され、現在でもなお黙秘をつづけているが、これ以上、外側からの身許確認ということにこだわれば、あとは夢野久作「ドグラ・マグラ」か、大島渚「絞死刑」のような領域にふみこむよりない。問題は彼女の黙秘によって、すくなくとも百日間は身許がわからなかったという奇蹟的な事実にある。

その間、学生たちやジャーナリストたちは、感動的な面持で、身許がわれないための条件をあれこれ推理していた。

警察は学生活動家の豊富なリストや顔写真をもっているから、これからはずれるケースは、はじめて闘争に参加した一年生であるか、地方大学の比較的地味な活動家であるか、大学院在学中の理論的なリーダーであって安田砦の攻防のような重大な時機にはじめて現揚にでてきたのか、ノンセクト学生で義憤にかられて単身砦に参加したのか、そのどれかだろう。蔵前国技館の前を護送車でさしかかったとき「これが国技館なのね」とつぶやいたから地方の学生ではないか。「そういう東京人の君が東京タワーにのぼったことがあるかい」という反論があったり、彼女が正確な標準語を話すので「東京の学生だろう」というと、「札幌ではないか」と反論がでる。学校ないしは所属する党派がわかれば、周辺を洗ったり、さしいれ人を尾行したりして、かならず身許がわかるはずだ。

・・・次号更新【いそぎんちゃくの思想---鶴屋橋一◯一号ノート・・・連載6】に続く