ali world heavy-weight boxing mash 15R.1972・4・1 NIPPON BUDOKAN

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◆異相の呼び屋・康芳夫:なぜ、康芳夫は自らペテン師になったか

「欺してごめん」安部譲二(クレスト社・1993・12)

異相は、笑っても異相

初めて康芳夫に出喰わしたのは、昭和四十七年だったと思う。

焼けたホテル・ニュー・ジャパンの裏に別館があって、貸事務所になっていたのだが、舎弟のひとりがここで金融をしていたので、私は赤坂に住んでいた頃から、ちょくちょく顔を出していた。この別館の貸事務所に入っていたのは、いずれも一筋縄ではいかない怪しげな連中で、その当時はここにいるということが、一流の仕事師のステイタスだったほどだ。

康芳夫も、この別館に事務所を開いて、後にモハメッド・アリになるカシアス・クレイの試合を、東京でやるとぶちあげて再び時の人になっていた。

雑誌でよく見る巨きな顔に、東洋人離れした高くて鉤形の鼻をつけた康芳夫が、手下を何人か連れて廊下の向こうから、私のほうに向かって歩いてくる。

血の気のない顔は、白というよりくすんだ艶消しの象牙色で、切れ長の目はほとんど耳の穴のそばまで開いていて、輝くだけで動かない黒い瞳がその中に埋まっていた。目の上には額が崖のように張り出していて、眉毛のないのが、表情をいっそう不気味に見せている。

初めて見た康芳夫は、まさに二人と似た者のいない異相の顔だった。この男が、日本で初めて外国人同士のボクシング試合をプロモートしようとしているのだと思ったら、私は急に腹が立って頭の中が熱くなった。私はそれまで、ずっとボクシングを愛してきた男だ。テレビの定期番組が少なくなって、経験を積ませたい四回戦ボーイが試合に出るのが減ったので、ボクシング業界の連中も、その時になって初めて慌てた。

そんな場面で友人の米倉健司会長と私は、赤字を覚悟で、四回戦だけのボクシング興行を、定期的にやったりしたのだ。それを康芳夫のような門外漢の興行師が、ヘヴィー級の大試合を鳴物入りでやろうとしているのだから、人間が小さいと言われようが、面白いわけがない。なんでも他人が、派手なことをやって脚光を浴びるのは、妬ましくて堪らなかったその頃の私だ。

堅気だから、いきなりぶん殴るわけにもいかなかったのだが、腹を立てながら近づいていった私は、売出しのゴロツキの頃なので、すいぶん険悪な様子だったのに違いない。

お互いの間合が二メートルほどに詰まると、それまで能面のように動かず、固まっていた康芳夫の異相が、突然崩れた。

「安部さんですね。お噂はかねがね伺っています。このたびのカシアス・クレイの試合を、ぜひ貴方に見ていただきたい。ずっとそう思っていたんですよ」

異相は、笑っても異相で、気の弱い小学生なら泣き出してしまうと、その時、私は思ったのだが、なぜか不思議に頭の中も熱くなくなっていた。初めて出喰わした康芳夫には、口を利くとこちらの心を変えられてしまう魔力があるのか、と思った私だった。いやいや、今でもそう思っている。

その翌年になると、当時人気絶頂のトム・ジョーンズを、どうやって連れて来たものか、日本に呼んで興行師たちを魂消させたのだが、後になって塀の中で考えていた私は、ここまでが康芳夫のまともな仕事だったと思い当たった。

それからの康芳夫は、一気に怪しげな山師に、自ら望んでなっていく。

・・・・・・・・・次号更新【怪人独特の魔力】に続く