『諸君!』昭和57年(1982年)11月号

『諸君!』昭和57年(1982年)11月号より

三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事:森下小太郎

ロシア人看護婦の小水

しかし、その正体は依然、不明であった。

後日、彼から届いた一通の葉書には、こんなくだりがある。

<さて連絡場所の件、色々苦慮した末、近在の友人に頼んで受け取って貰うことにしました。内容が何かをその人に知らせずに、しかも開封されぬようにするため、親展の判を二つ(傍点沼氏)押すことと、発信人森下小太郎を明記すること、この二つをお願いします。倉田氏は親展判及び発信人名によって、私宛のものと認別して届けてくれることになっています。彼自身同居人なのですが、原氏自身は絶対心配いらない人とのことです。

(中略)

申すまでもありませんが、右は絶対極秘として、奇ク(奇譚クラブ=森下註)関係の御友人にも決して口外なさらぬ様して下さい。

倉田氏とはこの種のことに無関係のつき合いで、もしKK(奇譚クラブ=同)関係のこと分ると、その方に支障を来すおそれが多分にあるからです。・・・・・・>

原政信氏を気付として、倉田貞二宛てに送らせ、しかもその倉田貞二なる人物から手紙を受け取るように見せかけているこの用心深さ・・・・・・。今にして思えば、異常な警戒ぶりではあるのだが、当時の私には彼の正体を詮索する気持など、まるでなかったのである。

とにもかくにも、文通は始まった。彼が書いてくるのは、マゾ関係のこういう資料がありますよとか、『家畜人ヤプー』の構想であるとか、同作品の登場人物の名前についての相談だとか、そんな内容がほとんどであった。

多いときは週三通も書いてよこした。そのくせ、私の返事については、

<右連絡場所への発信は、急ぎのもの除いて、なるべく取まとめて、回数を少くしていただく方が良いと思います>

という具合に、注文をつける。おそらく、連絡役をつとめてくれる原氏への慮りがあったのであろう。

ここで、彼からきた一通の手紙を引用しておこう。そこには『ヤプー』の構想が記されている。日付は三十一年十二月十一日。『ヤプー』の第一回が『奇譚クラブ』に載ったのが同年十二月号(発売は前月の十一月)であるから、そのしばらく後の手紙である。

<ヤプー第二回、お気に召したとすれば幸ですが、唇人形(ラブラム)labrumの記述その他色々削られたため卒読では意味不明の箇所あり、それで「沼正三だより」の中で一寸断っておきました。

第三回(次号)は人間便器stooler妄想をめぐる記述ばかりで、ごく一部の人にしか受けますまい、貴兄も次号にはヒンシュクされるかも知れず。

第四回(三月号)は空飛ぶ円盤の母船なる飛ぶ円筒に舞台がうつり、(中略=コンテがメモ風に記されている=森下註)となり、身長十四糎矮人(ピグミー)(ヤプーの変種)を出します。これはいやらしくないから、うけるつもり。

第五回、矮人決闘 pigmy duel(闘鶏などと同様の遊び)及び地球別荘に着いてからの新事態となります。

第三回に失望されぬ様、第四回分について申しました。(第五回前半迄送稿)まあ気長にごらん下さい。尤もプライヴェートの時間をひどくとられるので、地球別荘からシリウスに向けて宇宙船が旅立つところで第一部の終りにしようかしらんと考えています。>

この手紙が『ヤプー』の作者以外の誰にも書けぬ代物であることは明らかであろう。

それにしても興味深いのは、

<プライヴェートの時間をひどくとられるので・・・・・・>

とあることだ。沼正三の意識の中では、『ヤプー』の執筆こそが本業であったことが読みとれる。

それ以上に興味をそそられるのは、相当に忙しい仕事を持っている人物らしいことであろう。その多忙の理由も、のちに合点がゆくのだが、それはもっと年月が経ってからの話である。

ところで、右に引用した手紙には、次のようなくだりがある。

<ご推察かもしれませんが、クララは私の妻、ポーリンは私の最初のドミナ(外地で私を仕込んだ白人女性)というプランです。>

『ヤプー』に登場する二人の女性にモデルがあることを示唆する文章であるが、後者については別の手紙で彼から教えられたことがある。

この手紙の書くところが真実だとするなら、彼は、学徒出陣か何かで戦争に駆り出されたらしい。終戦により、満州でロシア軍捕虜となった。彼が「マゾヒスト」になったのは、このときロシア人看護婦に、その小水を飲まされたからだという。

以来、彼は白人女性に対して憧憬を持ち続ける。右の手紙に「私の最初のドミナ」とあるのは、まさにロシア人看護婦のこと、ドミナとは「女主人」を意味している。

・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事・・・連載4:「普段はちゃんと背広を・・・」】に続く

※連載続き メールマガジン先行配信(2015.12.07より) 家畜人ヤプー倶楽部(家畜人ヤプー全権代理人 康芳夫)