ロス五輪「30年目の真実」下

結局、電通とNHKの連合軍に俺とテレ朝は負けた

虚業家一代 康芳夫(2):ロス五輪「30年目の真実」下(日刊ゲンダイ、2014年(平成26年)2月13日より)

テレビ朝日の「怪人」とも「天皇」とも呼ばれた三浦甲子二氏(写真)の依頼を受け、ロス五輪大会組織委員長ピーター・ユベロスと交渉を始めた康芳夫氏。だが、日本から強烈な横やりを食らうことになった。

「俺が独占契約に動いているという情報をキャッチしてNHKのシマゲジ(島桂次。当時、会長)と日本テレビの常盤恭一(当時、報道局長)が怒って怒って。俺は三浦から『全部任せるから交渉してくれ』と言われたから、『よしわかった。ケツはちゃんと取れよ』と話してアメリカに向かったんです。そしたらNHKと電通が俺にまつわる悪いウワサをユベロスの耳に吹き込んだんだな。そして、俺の後ろにテレ朝の三浦がいるとわかるや、『康を切れ』と猛圧力をかけてきた。ユベロスも俺に背後関係を明らかにして、仮契約の前に財源を示せという。中立の銀行にカネを預けろというからアメリカで困っていたら、三浦が折れてハシゴを外しやがった(笑い)。電通としては民放一社独占ではなく、バランスを考えたんだろうな」

当時、電通のロス五輪を担当していたのが服部庸一氏(当時、開発事業局長)と、後に専務になる高橋治之氏。

「服部は銀座でも有名なクラブママといい仲だったな。最後には結婚したはず。高橋はイ・ア・イ・イの高橋治則の兄貴で、W杯日韓共催も彼の仕事ですよ。

まぁ、結局、電通とNHKの連合軍にテレ朝は負けたんです。もし、独占契約にこぎつけても結局、電通に頼らざるを得ない部分が大きいからね。ユベロスま俺にダマされたとか言ってたけど、俺は決してハッタリをかましたわけじゃない。三浦がハシゴを外さなかったら俺はロス五輪のプロデュサーになっていたんだよ。真相はそういうこと。でももう、今の時代は個人で動くなんてことは無理だろうね。組織を振り回す一匹オオカミが俺の生き方だし哲学だから。五輪は完全に電通が握っている。がっぽりコミッションは取るだろうけど、博報堂にできるかといえばできないし。もちろん、三浦からはきっちり落とし前は取りましたよ。一筆取ってたし、経費もかかってたからね。いくらかは税務署の問題もあるから言えないけど、銀座で10年は飲めるくらいの額とだけ言っておこうか」

(つづく)