俺のやることは、すべては虚業皮膜の間の話。人生は退屈しのぎにすぎないのだから

虚業家一代 康芳夫(4):俺のやることは、すべては虚業皮膜の間の話。人生は退屈しのぎにすぎないのだから(日刊ゲンダイ、2014年(平成26年)2月15日より)

昨年(2013年)12月15日は力道山の没後50周年。康芳夫氏は昭和の大レスラーとも因縁があった。

「最初に会ったのは1958(昭和33)年くらいだったかな。俺がイタリアのボクサー、ロポポロと藤猛のライトヘビー級の試合を企画したら力道山から呼び出しをくったんだよ。赤坂のリキアパートにあった事務所に行くと”テメエ、俺のシマを荒らすのか”って怒鳴られてね。リキもヘビー級の試合を企画していたから商売敵だったんだな。にかく大変な酒乱で酒が入ったら手が付けられない。事務所のカウンターにウイスキーの瓶を20本くらい並べて空手チョップでなぎ倒すんだ。俺も物おじしない性格だはど、あの丸太のような腕で殴られたらと思うと、さすがに生きた心地がしなかったよ(笑い)。しょうがないから申し訳ないですと謝ったら”申し訳ないって顔なんかしてないじゃないか”ってまた怒鳴られて(笑い)。今日のところは帰れと言われて、命からがら戻った記憶があるね。でも、あれから50年も経ったのかと思うと感慨深いね。赤坂のニューラテンクオーターで力道山を刺した村田勝ちゃん(勝志)も去年、亡くなったし、俺はあの事件は正当防衛だと思ってる。もちろんヤッパ(刃物)を使うのはいけないけど相手が力道山だからね。それでも村田勝ちゃんは力道山が眠る池上本門寺には毎年かかさずお参りに行ってたんだよ」

先日、1963年のノーベル文学賞にノミネートされていたことがわかった作家の三島由紀夫とも因縁は深い。

「文学者のドナルド・キーンは三島がノーベル賞を受賞していたら死んでいなかったと言ってたげどどうだろうね。実は彼が、僕がプロデュースした澁澤龍彦責任編集の雑誌『血と薔薇』に掲載した世紀の奇書『家畜人ヤプー』を面白いと言ってくれてね。最初に掲載することを強く勧めてくれたんだ。楯の会の森田必勝は僕が経営していた出版社『創魂出版』によく出入りしてたんです。だから三島自決事件の時はホントに驚いた。当時、僕はモハメド・アリの件で米マイアミに滞在していたら、アリがマイアミヘラルドというローカル紙の一面を指さしながら『ミスター康、有名な作家が首を切ったってどういうことだ?』と。俺も市ヶ谷駐屯地で演説している写真は見たけど一瞬、意味がわからなくてね。とにかく仰天して日本に電話をかけまくった覚えがあるね」

「そういや、ロス疑惑の三浦和義に週刊プレイボーイで人生相談をやらせたとともあったな。5、6週はやったけど、愛読書を聞いたら『レ・ミゼラブル』だと(笑い)。ウケてたけどこの辺で打ち止めかなと思ったね。俺のやることは、すべては虚実皮膜の間の話。いってみればサービス精神なんです。人生は退屈しのぎにすぎないのだから」

すべてを悟ったスフィンクスのような表情でこう語る康氏・虚業家を名乗ってはばからないが、「まだ明かせないけど世間をアッと驚かす面白い企画は進んでいるからね。期待してくださいよ」。

(おわり)