麻薬とジャズと大衆芸術:詩と思想 1974.11/No10 VOL.3

麻薬とジャズと大衆芸術(1):康芳夫×木原啓允×関根弘(司会)

大使が保証すればよい・・・・・・

関根 ぼくは、きようは司会者ですから、二人でやってもらえばいいんで、お願いします。

康君はさいきん「虚業家宣言」て本を出してるけど、いっぱんに日本人はまじめすぎるようだね。ホラを吹く精神というのが必要だ、詩の問題としても。あんまりこの、社会主義リアリズムではね、困るわけだ。抽象画の展覧会を、ロバのシッポだとかいって、ブルドーザーでかきまわしたりするなんてね(笑)

ところで、ひいては芸術と麻薬といったようなことでお話しいただきたい。お二人は呼ぴ屋の仕事にかかわり合って、そのへんのところにもくわしいと思うので・・・・・・。

康 まあ、ぼくは木原さんのいたアート・フレンドに入れてもらったわけで、たしかにジャズはずいぶん呼びましたね。

関根 一番最初はアート・ブレイキーだったかな。ぼくが聞いたところでは、産経ホールかなんかで舞台で小便しちゃったのがいるんだろう。

木原 ああ、それがまた物凄く臭いんだな、酔っぱらった上で、黒人のやつだから(笑)日本では裏方さんがとくに舞台は神聖視して、靴であがるだけでも怒っちゃうもんな。そこへ小便したもんだから、えらいこっちゃ。

関根 ジャズに麻薬---麻薬っていうのは禁句かもしれないが麻薬なんかやると、よけいハッスルするわけだね、ジャズっていうのは。それが、まあ、オーケストラなんかと違うんじゃないかと思う。

木原 ブレーキーの時は、でも、いちおう表面的には酒だったもんな。日本酒を一升びんでガブ飲みして景気つけてた。もっとも、演奏してるうちに、だんだん汗の出ぐあいや、痴呆的な表情になってくる様子から、どうも酒だけじゃないな、という気もしましたがね。

康 ブレーキーの場合、たしかに麻薬のかわりに酒でごまかしたっていう感じはありましたね。そのくらい健全だった・・・・・・ま、彼のジャズも健全だったし(笑)

関根 その後、しかし、麻薬で追放されちゃったのがいるじゃない?

康 あれはアート・フレンドの時じゃない。二度目の別の呼び屋さんの時で、カーチスフラーってトロソボーンですね、あの事件以来、麻薬問題が本格的になってきた。でも麻薬をやっている奏者というのは、ひじょうに優秀なのが多かったですね。マイルス・ディビスが典型的でした。あとセロニアス・モソクー、これは相当ひどかったですよ。麻薬がなけりゃ演奏しないんだから。それから、ソニー・ロリンズのメソバー、さんざんもめてひどかったが、ジャズマンとしては、でも優秀だったなあ。

関根 アート・ブレーキーは古典的だけど、ブレーキが来たんで、日本のジャズ・ミュージシャンは衝撃を受けてということがあるわけではないの。

康 そういうことはいえるでしょうね。ある時期においては。

木原 一九六一年の正月だったね。”ファンキーで明ける61年”なんてキャッチフレーズつけて---新宿にジャズ喫茶が集まっていて、それまでバレエ、クラシック、せいぜいサーカスしかやってなかったもんだから、一体ジャズってなんだべと思って、ずいぶん新宿のジャズ喫茶歩いたもんな(笑)しかし、まあ、いちおう当時、ブレーキ-ぐらいまでは受けいれる素地がかなり出てきていた。時期的にちょうどよかった、ということもあったんだな。

康 それからモンクだったわけだけど、麻薬関係と言えば、やはりモンクからね。こりぁもうピアノの神様といわれたぐらいだけど、大変な重症患者ですよ。ヘロインですからね。

関根 あれはやっぱりヤクの種類によって、重いのと軽いのがあるわけだろ?

康 ええ。それもだから経済的な問題が関係してくるでしようね。大麻のほうは安いし、習慣性がない。だからマイルスみたいに金持ってる連中は、ヘロインにいっちゃいますね。話はとびますけど、木原さんがいなくなってからのアートフレンド---アートライフって名前だったけど---これが崩壊する時マイルスと契約してましてね。ところが、麻薬問題で法務省の入国審査にひっかかってダメになり、あれが徹底的な打撃になった。

関根 でも、読売新聞かどこかがやったんじゃない?

康 読売の場合は去年ですけどね、結局その時は在日アメリカ大使館が保証したわけですよ。ぼくらの場合保証がとれなくて、日本政府が保証がなけゃダメだと---

関根 そうか。麻薬患者とわかってても、大使の保証があれば公認ってわけか。なるほど。

・・・・・・次号更新【ニューヨークでは乞食同然】に続く