ラテンクォーターに集った黒紳士たち:康芳夫が語る夜の紳士録(2)

康芳夫が語る夜の紳士録:BUBKA時代(2007.vol.02)

康芳夫が語る夜の紳士録:BUBKA時代(2007.vol.02)

---やはり飲みの席では豪快だったわけですよね。

康 もちろん。当時彼が銀座で一番可愛がっていたのが歌手の水原弘。『黒い花びら』で一世を風靡したばかりのころですよ。それで、勝ちゃんの場合、飲むと言っても一軒では済まないわけだから。最初水原弘と2人で飲んでても、4、5軒はしごするうちに20人、30人になっちゃう。もう誰が誰だかわからないわけですよ。それで最後はラテンクォーターに行って飲むわけでしょ?

---力道山が刺されたことで有名な赤坂のクラブですね。

康 そうそう。刺したのは住吉会の今は大幹部になっているM氏、僕もよく知っている人だけど(笑)。あの店はいろんな人間が来てね、(石原)裕次郎もいたし、政界ではハマコーも。彼はまだ代議士になったばかりの頃でしょう。彼は最初組員だったからね、稲川会の。あっちの序列でいうと、25位ぐらい。ただ当時の彼はまだ新米だから、夜の世界では勝ちゃんのほうがずっと位が高かったんじゃないかな。勝ちゃんは当時レミーマルタンが大好きで、このブランデーはいまはどこでも売ってるけど、当時は割合と品不足で結構貴重品だったの。ところが、勝ちゃんは1回に5本も6本も頼んで、全部アイスペールに入れて、みんなで飲み回しするわけですよ。だから、誰かが必ずぶっ倒れてましたね(笑)。

---その倒れる人の中にはヤクザ系の方もいたんですか。

康 もちろんもちろん。

---飲みの席になったらヤクザとかなんとかは一切関係ないんですね(笑)。

康 それはそうでしょう。馬鹿騒ぎしてるわけだから。ある時なんか、女の子をスッポンポンにして、おへそに酒を入れて飲むなんてこともやったねー(笑)。

---やりましたか(笑)!

康 だけど、それは新橋とか、赤坂の芸者ではできませんけどね、許されませんから。向島とか、神楽坂でしたね。あの頃は、輪島(大士)君ともよく一緒に飲みましたよ。彼も勝ちゃんの子分だったから。子分というか、ボディーガードというか、あれは相当イカレポンチでしたね(笑)。何を話したのかはほとんど覚えてないけど、一つ印象に残ってるのは、「ハワイ出身の力士は基本的に腰が弱くてダメですよ」ということかな。「だから、絶対大物は出ません」ということは言ってて、その後曙にしてもいまK-1とかやってるけど、あんな調子でしょ?いま考えるとプロ的な発言だったなとは思いましたね。あれは彼が言ったことで唯一印象に残ってて、あとは戯れ言でよくわかんないんだけど(笑)。

---戯れ言ですか(笑)。ただ、その印象に残る発言も、相撲関係の本を読むと、輪島さんは高見山が凄く苦手で、高見山と当たる時には必ず星を買っていたってことになってるんですけど。

康 ま、それは僕もわからないけど(苦笑)。

---輪島さんが勝さんのボディーガードとして活躍したって場面はありましたか。

康 う~ん、ボディーガードというか、むしろ彼の周りには借金取りがいたわけで、逆に勝ちゃんに助けられてましたよね。

---全然ボデイーガードじゃなかったんですね(笑)。そういう飲みの席で喧嘩とはなかったんですか。

康 いや、勝ちゃんの酒は楽しい酒だから、揉めるってことはなかったね。雰囲気でその場を制するというか、祇園に行っても三味線を弾いて芸者を楽しませるほうでしたから。だから、勝ちゃんと飲むと面白かったですよ。それはストーリー性がない面白さ。全てがハプニングで、これが一番面白いわけだから。

---歌手がいて相撲取りがいて、借金取りやヤクザまでいるという(笑)。

康 だから、そう意味でいうと裕次郎はそこまでではなかったなあ。彼はちょっとエバるところがあって、まあ、スターだからしょうがないんだけど僕はそういう風に見てましたね。ただ、裕次郎ともずいぶん一緒に飲みましたね。彼も遊びが好きで、最期、麻布で倒れた時は、銀座にいた彼女の家だったんですよ。当時は芸能マスコミもまだ幅を効かせていない頃だったし、石原プロのカも強かったから、どこも書かなかったけれど、ホントは女のところで倒れたわけですよ。

---最後の最後まで遊んでいたというか。

康 ええ。そういうようなこともありましたね。ま、いろんな人がいたけど、ただ、勝ちゃんがあまりにも凄すぎたからほかの人はどうしてもかすんでしまいますね。さっき言った水原弘なんて『黒い花びら」で一躍スターダムにのし上がって、彼も大変な遊び人だったんだね。彼もちょっとエバるところはあったけれども、勝ちゃんには忠実で、遊び方は面白かったですよ。

・・・次号更新に続く