『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事

『諸君!』昭和57年(1982年)11月号より

「ヤプー」の著者が裁判官だって!?

私が「沼正三」の正体を気にし始めたのは、ごく最近、五十三年になってからである。その頃の天野氏の行状には、異様なものがあった。

バーへ行くとすぐ床に寝そべり、女性の足の裏をベロベロ舐める。本人は好きでやってるのかもしれないが、沼=天野と信じ込んでいる周囲の人間は、沼が舐めていると思い、そして天野氏がますます『ヤプー』の作者らしく見えていったわけだ。

「沼正三」になりすましたための天野氏のこうした言動(先に述べた二百万円云々の話も含めて)はごくごく善意に解釈すれば、真の「沼正三」の秘密を守るためで、あながち私利私欲から出ているわけではないと、考えられないこともない。

私がこだわるのは、ただ一点、天野氏が「沼正三」になりすますことを、真の「沼正三」が、諒としているのかどうかである。で、私は「風俗奇譚」に「沼正三君に」と題して、

「貴方が天野氏に全てを託しているのなら、なんらかの方法で私にその旨を知らせて欲しい」

と書いた。ところが、何の音沙汰もなかった。どうにも腑におちない。

これでいいのかな、と考えて妻に話すと、

「じゃあ、あの原政信さんに電話をかけて確かめてみたら」

と妻はいう。

長野県飯田市の「原政信」氏を番号調べで調べ、ダイヤルを回したのも妻である。例の住所から引っ越してはいたものの、原氏は飯田市に在住であった。

「失礼ですけれども、以前、県営住宅七号にお住まいになってた原さんですか」

「はい、そうです」

「倉田貞二さんという方をご存じでしょうか」

「あ、あの方は栄転なさいまして、いまは佐賀の裁判所長をなすっています。ただ、あの方は貞二じゃなくて卓次さんですよ」

倉田卓次!? 裁判官!?

だいたい、SM関係の人間で「何某気付」を連絡場所にしている場合、この何某が本人であることが多い。だから、私も「原政信」が沼正三であり、「◯◯某」は架空の人物ではないかと睨んでいたのだが、倉田氏は実在したのだ。もっとも、貞二は偽名で、倉田卓次が正しかったのだが・・・・・・。

妻と原氏の会話が続く。

「失礼ですけど、原さんも裁判所の方でいらっしゃいますか」

同僚の裁判官なのか、という意味の質問である。

「いえ、私は書記なんです。倉田判事さんには、お手紙がくるといつもお渡ししていた者です。・・・・・・失礼ですが、どなたさまでしょうか」

そこで私が電話に出ることにした。

「実は私、森下といいまして、ずいぶん昔のことですけど、しばしばあなたのお手をわずらわして、倉田さん宛のお手紙をさしあげていた者です」

「あっ、覚えております」

「で、私の手紙はどうなさっておりましたでしょうか」

「いつも来ればすぐに直接お渡ししていました」

「倉田さんは、それをすぐに開封していらっしゃったのですか」

「いえ、受け取るとすぐに机におしまいになっておりました」

ここにも、沼正三こと倉田卓次氏の用心深さが顔をのぞかせている。

私は、もっと訊きたいこともあったのだが、原氏の警戒心が頭をもたげてはいけないと思い、「では佐賀のほうにお電話してみます」といって、そこそこに受話器を置いた。

---それにしても、あの『ヤプー』の作者が現職の裁判官とは、意外であった。せいぜい(という言い方も変だが)高等学校の教員だろうくらいにしか、考えていなかったからである。

・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)11月号:衝撃の新事実!三島由紀夫が絶賛した戦後の一大奇書『家畜人ヤプー』の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事:森下小太郎・・・連載12:ドイツからの手紙】に続く