契約成立、だが・・・・・・

康芳夫

八月九日、契約が成立した。私が初めてハーバートに接触してからすでに四年、今回、ニューヨークに来てからでも、もう一年近い日時が経過していた。

クレイのファイト・マネーは四十万ドル、邦価にして約一億二千万円。期日は十一月二十九日。対戦相手はマック・フォスター。世界ヘビー級十位の黒人ボクサーだった。

フォスターについては、ごく簡単な事務手続きだけで済んだ。フォスターにすればクレイとやって、勝てば世界タイトルへの挑戦が考えられるし、負けても元々だったから、否やを言うはずはない。クレイの八分の一、わずか五万ドルのファイト・マネーでOKした。

やっと契約にまでこぎつけたものの、だが、私のほんとうの戦いは、まだ始まったばかりであった。

契約までの滞米生活が予想以上に長引いたためもあって、私がかき集めてきた軍資金は、もはや残り少なくなっていた。

あとで聞いたところでは、契約発表のニュースが日本へ伝わったときに、ある新聞は《康には金がないから、この試合は実現不可能だ》と書いたそうだが、まさに、そのとおりの状態だった。

まず記者会見で例によってブチ上げ、それを手ミヤゲに日本へ帰って資金集めをするというのが、私の当初考えていたスケジュールである。

ところが、契約すると、早速私は難問を抱え込んだのだ。

クレイのマネージャー・ハーバードが、デポジット・マネーは別として、トレーニング・フィニ万ドルを払ってくれるまでは記者会見にクレイを出さないというのだ。

この道では契約に際しては三十パーセントのデポジット・マネー、つまり仮託金(証拠金のようなもの)を収めるのが慣例になっている。もちろん、私に、このデポジット・マネーを収める余裕などハナからあるわけがない。私はチエを絞って、言い訳の理由を考え出した。

「日本の外国為替法によって、日本政府の許可が下りるまで、海外にドルを持ち出すことはできない。目下、当局と交渉中だが、お役所仕事で、どうも、スムーズに運んでいない。こちらも弱っているのだ。許可が下り次第、まちがいなく、払い込む」

すべて、日本の役所が悪いことにして、とにかく第一の難局は切り抜けていた。

そこに降って湧いたのが二万ドルのトレーニング・フィの問題である。発表したらすぐトレーニングに入る。その実費として一万ドル、ポケット・マネーとして一万ドルの計二万ドルを出せというわけだ。六百万円もの金が、今の私にあるわけがない。私は途方に暮れてしまった。クレイを呼んでの記者会見が開けなければ、スポンサーを集めるのに武器ナシで戦えと言われたようなものではないか。

・・・・・・次号更新【救いの神『ベニハナ』】に続く

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『虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)』真の虚業家の使命は何よりも時代に風穴を開け、閉塞的状況を束の間でもひっくり返して見せることである。「国際暗黒プロデューサー」、「神をも呼ぶ男」、「虚業家」といった呼び名すら弄ぶ”怪人”『康芳夫』発行メールマガジン。・・・配信内容:『康芳夫の仕掛けごと(裏と表),他の追従を許さない社会時評、人生相談、人生論などを展開,そして・・・』・・・小生 ほえまくっているが狂犬ではないので御心配なく 。

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