『勝手にしろ!』---ベンガルのトラの嘆き:東京新聞(昭和52年2月9日)より抜粋
康氏の企画した死闘ショーは一月八日付「こちら特報部」でご紹介したように、二月五日ハイチの首都ポルトープランスのサッカー場に二万八千人の観客を集め、テレビ中継のカメラの前で行われることになっていた。興行収入はざっと五百万ドル(約十五億円)。山元は八段が生き残ったら、四十万ドルを受け取る皮算用だった。
死闘の舞台に、カリブ海の小国ハイチが選ばれたのには、わけがあった。ハイチのジャン・クロード・デュパリエ大統領は、ことし二十六歳。七一年に亡くなった父フランソワ・デュパリ大統領の後を継いで独裁権力を握っているが、熱心な空手ファン。自ら指導を受けている空手教師アベル・ロメヌ氏の勧めで、この死闘を許可したのだった。