ニッポン最後の怪人・康芳夫

康芳夫、澁澤龍彦を語る(3)

『血と薔薇』の創刊は、立花君が東大の仏文科を出て文春に入って、文春をちょうど辞めた直後なんだよ。新宿のゴールデン街でバーなんかもやってたけど、また哲学科に入り直そうっていう端境期。彼はその頃はまだ、まったく無名ですから。ただ、彼は1冊すでに本を出していた。日経新聞が新書をつくった時の最初の本なんだけど、エコロジーの本。エコロジーのエの字も誰も言わない時代に彼はそれを書いて、いかに先見の眼があったかということだ。先読みのできるセンシティブなやつは、もうエコロジーが大問題になると見抜いてたわけ。その後も、脳の問題は今の茂木健一郎のずっと先だし、エコロジー、宇宙と、常に最先端を走っている。一応彼は日本の代表的知性だから、先述したとおり、いわゆる「知の巨人」ということ。

だから、オレの思惑もあったし、『血と薔薇』の編集長には彼になってほしかったけど、澁澤としては彼は色んなことをちゃんと発言できるやつだし、非常に煙たいという部分もあってね。立花君は充分にやる気はあったんだけど澁澤の妨害で話がなくなって、立花君にそれについて聞かれても一切ノーコメントでしょう。彼にとってみれば内定が決まってたのに、屈辱的な、嫌な思い出なわけだから。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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