『インディ500=インディアナポリス500マイル・レース』と言えば、世界中のカー・マニアなら知らぬ者がないと言われる大レースである。
一周四キロのコースを時速三百二十キロの猛スピードで二百周し、その荒っぽさは数ある世界のカー・レースのなかでも群を抜いている。毎年、事故のないことは皆無だった。私が記録映画で見た『インディ500』は、カー・レースの概念をはるかに超え、一種の芸術と言えた。
「まだ一度も海外に出たことはない」
そう聞いたとき、私は『アラビア大魔法団』の次はこれでいこうと決めていた。急速にモータリゼーションが進み、年間百五十万台もの車が生産されるようになった日本でも、それは十分、商売になる。ジャッキー・スチュアート、ジム・クラーク、グラハム・ヒルなどは、きっと日本でも新しい時代の英雄となる、そうふんだ。
すぐにインディアナポリス・スピードウェイ社の競技担当重役・ヘンリー・バンクスに連絡をとると彼はこう言った。
「想像もしなかった考えだ。だが、おもしろい」
そして、そのためには三十数人のレーサーの旅費、滞在費、フォーミュラカー運搬費など、しめて四十万ドルのデポジット・マネーが最低条件であるとつけ加えた。
四十万ドル---そのときの『アート・ライフ』にとっては気の遠くなるような金額である。四十万ドルはおろか一万ドルだってあるはずがなかった。しかし、私はあきらめなかった。
昭和四十一年十月九日、轟音とともに『インディ500』日本版の幕は切って落とされた。