戦後の文学界に衝撃 マゾの奇書「家畜人ヤプー」覆面作家は高裁判事 東大卒のエリート

昭和四十四年

『ぜひ、あれを見つけ給え。あれこそは戦後最大の傑作だよ。マゾヒズムの極致を描いたまったく恐ろしい小説だ。出版する価値のある本だ』

そう三島由紀夫は小生に熱を込めて家畜人ヤプーの内容を語りつづけた。

康芳夫、三島由紀夫を語る(1)

三島はね、最初に会ったのは僕が学生時代、新宿にキーヨっていう伝説的なジャズ喫茶があったわけ。当時のカメラマンとか、作家までいかないけど、そういう当時のいわゆるヒッピーみたいな連中が毎晩集まってるところだった。例えば立木義浩君やコシノジュンコ君とかも無名な頃、そこにたむろしていた。そこに三島が当時岩波書店の『世界』に書いた『月に昇る』というタイトルの短編小説のモデルたちも集まってたわけ。その、三島のまわりの連中はみんなオレのことを怖がってた連中でね、それで三島がキーヨに来て、オレは当時東大の学生で毎晩キーヨに行ってたから、そこで初めて会った。その時オレはまったく初めて三島と会って、友好的に話しをした。「あなたの小説のファンです」って。それで突っ込んだ話をしようと、色々話しているうちに日本浪漫派の話を出したら、「それは今はやっかいだから、また日を改めて」ってことになって、後はみんなと雑談して、ジャズ聴いて、今でも覚えてるけど、その時彼はヨットマンがかぶる、角張った海兵帽みたいなのをかぶってたよ。派手というか、当時の非常にファッショナブルな格好でね、おシャレで「ああ、これが三島か」って、いかにもそういう印象だった。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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