ニッポン最後の怪人・康芳夫

昭和四十四年

『ぜひ、あれを見つけ給え。あれこそは戦後最大の傑作だよ。マゾヒズムの極致を描いたまったく恐ろしい小説だ。出版する価値のある本だ』

そう三島由紀夫は小生に熱を込めて家畜人ヤプーの内容を語りつづけた。

康芳夫、三島由紀夫を語る(7)

三島の介錯をした、森田必勝は実際オレのところにいた。アルバイトで、僕のやっていた創魂出版に、毎日出入りしていた。その頃に楯の会っていうのが結成されて、代々木で毎日訓練してたんだよ。三島からは、「あの康君のところは、あまり行かない方がいいぞ」って言われてたようだけど、あの時、森田は事件の準主役だよな。「はぁー」と思ってね。だけど、その時に僕が思い出したのは、森田は「僕等は命懸けてやってるんです」と。ああいう風に制服とかつくって、当時、「三島は遊びでやってる」ってことは色んなところで言われてたんだけど「遊びは、僕は絶対許しませんよ」ってことを、彼は僕に再三言っていた。つまり、三島は追い込まれたと。森田たちが三島を逃さなかったという、もちろん三島自体にもそういう意志はあったけど、彼等がそれに火をつけたのは間違いない、というね。それと先ほど言ったとおり、三島を逃さなかったということ。

・・・『虚人と巨人 国際暗黒プロデューサー 康芳夫と各界の巨人たちの饗宴』より抜粋

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