勝新太郎追悼座談会

勝新太郎追悼座談会(STUDIO VOICE MARCH 2007 VOL.375 より)

勝新太郎追悼座談会(STUDIO VOICE MARCH 2007 VOL.375 より)

康芳夫(メディア・ミックス全権プロデュサー)×湯浅学(勝新太郎原理主義者)×藤本友徳(KANOXディレクター)×太田敬一郎(元EPIC SONYディレクター)

97年6月に世を去った不世出のエンターティナー、勝新太郎を偲び急遽企画された座談会。いくら語られても語られ尽きることのないその存在の一端が、そこには滲み出ている。「座頭市と共に辿る全肯定の血煙り街道」!!

---湯浅さんの場合は、幻の名盤解放同盟の運動を始めてだいぶ経ってから勝さんとは会ったんでしょう?

湯浅 うん、会ったのは遅いですよ。あの事件後ムショから出てきてからだから92年だったと思うけど、『宝島』でインタヴューをやったんだけど、それを勝さんが気に入ってくれて、それから何回か会いに行ったりしたんですよ。まあ元々同盟の3人とも勝新のファンだったから。で、舞台の『不知火検校』を映画にするから悪のネタ考えてくれっていうことで、根本敬と二人で呼ばれて何回か行ったの。監督の井上昭さんとも会ったりして、どのくらい悪を考えられるかっていうのを勝さんと話すんだけど、もう出来上がってるんですよ、勝さんの中では。で「どうだ、どう思う」って言うから、「素晴らしいです」とか意見言って。「お前らも考えてこい」ってことになって、一応俺はラフの案を原稿用紙に書いて根本は漫画にして出したんだけど、「これだとカンヌを狙えないからダメだな」って言われて(笑)。「ネタ自体は俺にはいいけど、世間がダメだろう」って。そうこうしてるうちにオウム事件が起こって現実にめくらの大悪党が出現したりしたもので、この企画も止まってしまったんです。

湯浅 とにかく毎回毎回、次のことを考えてましたもんね。

康 あれは、生理的な勘なんですよ。いつも突飛なことを言うから、みんな深く考えちゃうと思うんだけど、本人は生理で言ってるだけ。そもそも彼には、市民的/反市民的なんて考え方がないんだから。そういうのは超えちゃってるわけ。俺は反市民的だってカッコつけてる馬鹿とは違うんだよ。マスコミはそういう観点で彼を見て騒いでるけど、実に馬鹿げたことだよ。

・・・次号更新に続く