池田大作の本を出版したらスパイされた!?:康芳夫が語る夜の紳士録 II(3)

康芳夫が語る夜の紳士録:BUBKA時代(2007.vol.04)

康芳夫が語る夜の紳士録:BUBKA時代(2007.vol.04)

---徹底的に喧嘩を売りますねぇ。でも、松下側が圧力をかけるのはよくわかりますよ。だって、本の内容は、松下が販路拡大のためにいかにして小売店を乗っ取っていったのかというものでしたからね。

康 新聞記者とか書評家とか、みんな素晴らしいと言ってくれましたよ。でも、誰も書かないの。朝日でも書けないんだもん。広告局がすぐそっぽ向いちゃうから。あちらは取り次ぎにまで手を回したみたいだけど、それは拒否された。当時の取り次ぎの上の人が、「大変だった」って言ってたようですよ(笑)。でもね、それよりはるかに厄介だったのが『池田大作を裁く』。やる前から分かってたんだけど、あれほどまでとはねぇ、僕もちょっと脇が甘かった。

---脇が甘いの一言で済ませますか(笑)。

康 サボタージュはもちろんあると踏んでましたけど、あんな凄いと思わなかったですよ。まずライターの問題ね。みんな逃げちゃうんだもん。竹中労だって逃げたんですよ。「竹中も意外に腰が座ってねぇな」と思ったんだけどね。結局、徳間書店で「タウン』っていう雑誌の編集長をやっていた佐藤誠功さんっていう人が、徳間をやめて書いてくれた。で、進めていったら、今度は僕のところに正体不明の人が来てね、「10万部、場合によっては20万部でもいいから全部買い取る」と言ってきましたよ。「現金はこのボストンバックに入ってますから」って。

---現金で全部買い上げるっていう話だったんですか!

康 もちろんキャッシュと交換ですよ。松下の時もそうでした。まあ、名前はその人の名誉の為に伏せますが、いまでもある経済雑誌を出してるところの社長からね。でも、僕は全部断わって。ただね、池田の時にはそのあとが違った。1日何十件と脅しの電話がかかってくるようになって、僕は電話番号を変えたんですよ。ところが、5分もしないうちにまた掛かってくる。ということはNTTの中に、彼らのスパイがいるっていうことでしょ。その時だけは、僕はマジでブルったね。そこまで力が及んでるんだっていうね。

---個人情報がほぼ筒抜けって嫌ですね。

康 これはずいぶんあとになってわかったことだけど、学会といろいろ喧嘩しちゃった弁護士がいて、その彼が学会にあった僕に関するファイルを見せてくれたの。僕の幼少時から何から全部チェックしたのが、5センチぐらいの書類の束になってましたよ(笑)。それは凄かったですよ。まあ、当時の僕はそこまで調べていたとは知らなかったけど、これもう負けたって言うか、考えられない事態だと思ったね。もうギブアップしようかなと思いました。だけど、出しちゃった。もうしょうがないと思って。

---また、「しょうがない」ですか(笑)。

康 もう、一か八かの勝負で。ただね、ちょうどその時、東京大学の同級生で当時、毎日社会部の花形記者だった内藤国夫君の『公明党の素顔』と藤原弘達氏が書いた『創価学会を斬る』も出た時だから、僕が期待したほど、売れなかったんですよね。でも、堂々と叩いてるわけだから、初志は貫徹したわけですね。10万部ちょっと売れたかな。

ーーーそしていよいよ児玉誉士夫さんに切り込むわけですね。

康 あれはもともと『児玉誉士央を裁く』って題だったんですよ。ライターの猪野健治氏は今でもお元気だけど、まあ、いろいろやっぱりあって、『児玉誉士夫の虚像と実像』って題になっちゃったんですよ。内容はヨイショまでいかないけれど、割合ね。猪野氏も立場があって、僕もちょっと厄介なのはわかってるから。

ーーーちなみに猪野さんは、序文でこう書いてます。「(この本を)書くにあたっては迷った。大げさにいえば、出版契約を結んでからというもの、ろくに眠れず、原稿用紙にして四百枚ばかりホゴにし、七日間、奥塩原の旅館にこもって結局一枚も書けない事もあった」と。康さんが相当ネジを巻いたんだろうなって思ったんですけど(笑)。

康 いやいや、僕は「怯まないで、書きたいように書け」って言ってただけだったんだけど、彼がちょっとやっぱり戸惑ったのかな(苦笑)。当時の児玉氏の秘書で太刀川(恒夫)氏、いま東スポの社長ですけど、彼とは何回か会いましたよ。別に彼はね、僕に圧力をかける事もなかったですね。

ーーー東スポはもともと児玉さんが作った新聞でしたね。内容的には評伝としてとてもよくまとまっていたと思いました。

・・・次号更新に続く