「文化人・三浦和義」を担ぐ”ブレーン”たちの思惑(2):週刊サンケイ(1985(昭和60)年5月2日)より抜粋
「僕が、新しいオリバー君を見つけた、なんていう人もいるけど、それじゃあ三浦さんに悪いよ。プロモーターというより、いろんな相談を受けてアドバイスするアドバイザーといったころかな。出会ったきっかけは、パロディーの極北のつもで『週刊プレイボーイ』に三浦さんの人生相談を企画したことで、まだ二か月ちょっとのつきあいです。僕は、本来の志向として三浦さんのようなスキャンダラスな存在に興味があったし、もう一つ、一人の人間を変な方向にもっていってしまうマスコミの在り方に冷水をかけでやろうという気持ちもあって人生相談を企画したんです。だって、免田事件をあれだけ大きく報じながら、一方で起訴もされてない人間をあれだけ叩くのはやっぱりアンバランスだよね。太平洋戦争の前と同じで、マスコミと国民がマス・ヒステリーを起こしている。文春の連中は『またあの気違いがやりやがった』とか言っているらしいけど、私のプロモーターとしての輝かしい前歴からしても、変な思惑はまったくありません」
康氏は三浦氏に関していくつかのプランを持っていたが、その極めつきが、あの田中元首相との対談だったという。テーマはズバリ”冤罪”---
「二人とも冤罪だと言っているんだから言い分を聞いてやろうということでね。早坂氏を通すとつぶされるだろうから別のルートを通じて交渉したら、目白のオッサンは『連れてこい』と言っていたというから、彼が倒れなければ可能性は十分だったんだ」
・・・了