康芳夫とその弟子「テリー伊藤」の始まりはオリバー君の世話係だった・・・3【月刊キング(2007年10月 NO.13 より)】

康芳夫とその弟子「テリー伊藤」の始まりはオリバー君の世話係だった・・・【月刊キング(2007年10月 NO.13 より)

康芳夫とその弟子「テリー伊藤」の始まりはオリバー君の世話係だった・・・【月刊キング(2007年10月 NO.13 より)

人の心に何かを着火する「怪しさ」を持ち続けるのが康さんの凄さだとして、それは天性のものなのか、それとも鍛えれば僕たちも持てるものなのか。「『持っている』というより『心掛けている」んですよ。たとえば、体重をキープするのと同じように。感性を維持するのは心掛けだと思うんですよ。意識しないと、いつのまにか失ってしまう。ただ、今の方が大変だと思うのは、『食い散らかされている』ことかな。昔は、何かを仕掛けるとして、ケーキで言えば誰も手をつけていない状態だから、一番美味しい真ん中から食べるってことでしょう?今は、その残りを食えってことだし、ひょっとしたらケーキじゃない新しい何かを見つける必要がある。その信念をどれだけ強く持てるかどうか。まあ、信念というかスケベ心というか・・・・・・」

---スケベ心?

「何かをしでかそうと思えるのは、世の中に対してオチンチンが勃つってことだと思うんですよ。勃たなくても、どうやって相手を楽しませるかを考えるというかさ。信念とか哲学とか格好いいものじゃなくて、もっと本能に近い何かだと思うんだ」

---だとしたら、僕たちも持つことは可能ですか?

「もちろん。オリバー君のような仕掛けが成功するには時代性がきっと関係すると思うんです。今のような情報社会では、さすがにオリバー君が『人か猿か』なんて議論が起こる余地はないよね?でも康さんは、いまだにスケベ心を失っていないんだよ。かつての興行界で悪魔のような存在感があって、その凄さを持ち続けていて・・・・・・今も、第三帝国でも創ろうとしてるんじゃないの(笑)?だとしたら、いくらでも協力します。『こうきたか!』っていう、康さんの凄さをぜひ見せつけてほしいね!」

・・・了