康芳夫とその弟子「テリー伊藤」の始まりはオリバー君の世話係だった・・・2【月刊キング(2007年10月 NO.13 より)】

康芳夫とその弟子「テリー伊藤」の始まりはオリバー君の世話係だった・・・【月刊キング(2007年10月 NO.13 より)

康芳夫とその弟子「テリー伊藤」の始まりはオリバー君の世話係だった・・・【月刊キング(2007年10月 NO.13 より)

---自身がやっていることすら、何が現実で何が虚構かわからない、と以前話してましたし(笑)。

「今は、いろいろな情報が溢れているから全体の8割くらいの人はおしゃれに見えますよ。でも、康さんと知り合った当時は、おしゃれな人は千人いたらせいぜい十人程度。だから康さんのまわりには本当に感度の高い人が集まっていたと思います。美輪明宏さんとか三島由紀夫さん、石原慎太郎さんもそうだしね。僕なんかはオリバー君の見張りをする単なる末端ADで、康さんは僕のことなんて、目に入ってなかっただろうけど(笑)」

---オリバー君の世話係を買って出たわけじゃないですよね?

「世話係をしたいわけじゃなくて、『時代の空気』の中に一緒にいたい、という気持ちはありましたよ。当時は27歳くらいで、自分とは次元の違う、世の中をひっくり返そうと企んでいるのがどんな人物なのか、すごく興味はありました」

---世話係の仕事に疑問は感じなかった・・・・・・。

「いやいや、疑問はもちろんありましたよ。だって『人か猿か』って騒がれたけど、絶対に猿だったもん(笑)!」

---ははは!康さんに会う前と後で何か変わりました?

「自分も、演出家として世の中ひっくり返してやろうって気持ちを実際に持つようになったことだね。『天才・たけしの元気がでるテレビ!!」(1985~96年放映のバラエティ番組)を作る時には、スタッフを集めて『世の中、ひっくり返すから』って宣言してましたから。それまでは自信があったわけじゃないし、実際の方法論を目にしてヒントを得たんでしょうね」

・・・次号更新に続く