オウム事件から20年が経ちました。オウムに入る若者とISに魅せられる若者、構造的には一緒なんでしょうか?
『ビオクラシー 福島に、すでにある』より小生インタビュー抜粋
―オウム事件から20年が経ちました。オウムに入る若者とISに魅せられる若者、構造的には一緒なんでしょうか?
康 それは非常に似ているでしょうね。どちらも、一つの「理想郷」を求めている。
―では当時と、現代の社会状況の共通項はどこでしょう?
康 経済的にも社会的にも、若者が完全に閉塞状況に置かれていて、展望をまったく欠いた社会に生きている。動きがとれない。そこに、かつてはオウムが出てきて、現代はISが出てきて、そこに希望を見出そうとするのは、若者の動きとしてそこに理屈がある。
今、イスラム国に対しては、世界的にはほぼ「とんでもないことをやっている」という考え方で一致していますよね。でも一方では、「イスラム国の言い分も聞いてやらないといかん」という世論も、ヨーロッパや日本でも、勃興しつつある。
―日本の若者、国民が閉塞感から脱し、幸福感を抱けるようになるためには何が必要でしょう?
康 やっぱり、今の経済的な閉塞感とか、若者が未来に対して展望が描けない社会を「チェンジ」するしかないよね。
―それにはどういう方法がありますか?
康 「どんな方法が」というのは、それだけでこのインタビューが終わっちゃうくらい長くなっちゃう(笑)。
でもその解決策を見い出さない限り、例えばISは必ず潰されます。そして、潰されても時間をおいて、次の何かが必ず出てきます。オウムも潰されましたが、その後オウムに対応する新しい力が必ず出てくる。
私たちの住んでる超高度管理社会、超高度市民社会は、非常に強力なかたちで設定されちゃっている中で、弾き飛ばされた連中が新しい動きをやろうとしていると。でもそこは「テロリズム対空爆」だけでは決して解決しないので、現実的に彼らの希望をある程度満たすような策を考えないといけない。
・・・以上、『ビオクラシー 福島に、すでにある』より抜粋