ニッポン最後の怪人・康芳夫

かの三島由紀夫自裁事件は一般人は勿論余程この事件に関心のある人達の間でも今や忘却の虚空に紛れ込んだ感がある。

小生は事件当時、ムハマッドアリ日本招聘の目的でマイアミサウスの彼の所属する世界的に有名なFIFTH Gymでアリに会っている最中であった。

事件翌日「マイアミヘラルド」の一面トップ記事に三島が市ヶ谷自衛隊バルコニーで演説する姿が写っていた。

アリが「マイアミヘラルド」を小生に手渡し

「これを見ろ。三島とは一体何者だ。精神病患者か」

とたずねた。

小生と三島の関係は当時半パなモノではなく、彼は小生が当時創刊した『血と薔薇』及びその第四号に発表された『家畜人ヤプー』の実質的プロデューサーでもあったのだ。

最初「マイアミヘラルド」に目を通したときバルコニーの写真及びヘッドラインの意味がまったく飲み込めず、唖然としながら「マイアミヘラルド」を読み通して全てを了解した。

最初の感想は

「来るべき時がついにきた」

という感じにつきた。

すかさず東京に電話を入れたが案の定『家畜人ヤプー』の作者、沼正三をはじめ関係者は全員パニック状態でどうにもならなかったことをはっきり覚えている。

さて肝心の『三島由紀夫ふたつの謎』についてだが、三島は墓の下でこれを読んで果たしてどう反応したのだろうか。

ある意味で瞬間意表をつかれたというところだろうか。

一方で焦点が外れすぎて唖然とした感じの彼特有の表情が、まざまざと思い浮かぶ。

小生の読後感としては「両者」はその主張する基盤が殆ど完全にスレ違っていて三島が生きていたなら、ただちに反論しただろう。

「戦後新憲法下における日本社会の虚妄と虚しい繁栄とはなんだったのか、そのことに関して大澤は完全に履き違えているよ」

と。

三島は生きていたら間違いなくノーベル賞をとった国際的作家。戦後新憲法下の日本社会が空しい虚妄の繁栄の果てに行きつくところに行きつくという絶望的破壊的ニヒリズムの最後の暴走の果てに市ヶ谷自衛隊バルコニーで天皇陛下万歳。諸君絶対的天皇制クーデターこそこの腐り切った虚妄を断ち切り真の日本を再生するのだという咆哮の末に、一般市民社会の一員である自衛隊員の激しいヤジのもとで自裁した。

然し、その異様極まる自裁の後に一体日本社会の全体的状況に何か大きな変化がもたらされたのか。

表面的にはなにもなかったとしか見えない。

然し、それを以てして大澤真幸が三島及びそのエピゴーネンの自裁行為を虚妄の果ての空しい自裁行為と切って捨てて果たして済むことなのだろうか。

その後、連合赤軍、オウム真理教事件等、続々と類似の大事件が発生したではないか。

今後、AI社会実現に向かって全速力で突っ走っている、いわゆる市民社会=超高度AI情報化社会において、今後同様な事件が発生しないという保証は果たして何処にあるのだろうか。

大澤真幸が戦後市民社会のもっとも高度とされる市民的良識を代表する知識人であることは論をまたないだろう。だからと云って三島自裁事件をはじめとして戦後日本社会に対する彼の状況裁断によって、諸事件の全容が果たして解明されるのだろうか。

大ざっぱな結論として云うと

三島的反非市民社会情念と大澤が主張する市民社会の理性とは所詮いわゆる水と油なのだ。

然し、アメリカ合衆国にきわめて奇妙な大統領が誕生し、欧米の情勢はネオファシズムに連なる一連の現象を背景にして複雑怪奇をきわめつつあり、今後次々にテロ事件を始めとして奇々怪々な事件が続発する予兆にあふれている。

かかるグローバルな全状況下で、今後果たしてどんな事態が発生するのだろうか。

きわめて大雑把な結論になるかも知れないが、我々は三島的「情念」と大澤的「理性」の高次な融和のもとに今後次々に発生するであろう異様な事件に対応するしかないのではないか。

それこそが虚妄の果ての空しい繁栄にひたり続ける戦後市民社会におけるの一時的「精神安定剤」たり得るかも知れない。