風俗奇譚(昭和45年7月臨時増刊号)小説 沼正三【著:嵐山光三郎】:魔の五千円札

風俗奇譚 昭和45年7月臨時増刊号より

魔の五千円札

校正という仕事は、実に苦痛のともなう作業である。豊富な言語知識と、細心の注意が要求される。精神を、文章のすみずみに集中していないと、すぐに見おとしてしまう。

普通、一人の編集者が、自分の担当のページを「校正」するのが、出版社の慣例なのだが、S社のような大手出版社になると、校正も、量が非常にふえてくる関係上、「校正課」というのができるのだ。ここでは大ぜいの人が、日夜、校正だけをやっている。

一日じゅう、他人の文章の誤植を見つける作業というのは、あたかも、他人の短所をほじくりかえす作業に似て、やりきれなくなる時があった。

ブタノは、そんな単調な生活にあきあきしたし、いつか、何かデッカイことをやってボロモウけしようと思っていたおりでもあり、この計画に夢中になった。

S社で校正をしていても、頭をかけめぐるのは『ヤプー』と沼正三の幻影だけなのである。最初に手がけたのは、沼正三の一章から二十章のなかに、あらたに(注)をいれることであった。

たとえば、沼正三の文章である「第七章肉便器の個体史」には、畜肥(こやし)業者のことが書かれており、カッコして、(第二〇章1・「美少年登場」参照)という個所があるのだが、こうした(注)は、沼正三の特徴なのである。二十章は、沼氏じしんの文章だからいいとして、それから6行めに検尿矮矮人(ユーリナ・ピクミー)のカッコ説明を入れて(第二十八章・「検尿矮人」参照)とするのである。

こうすれば、七章と二十八章が、あたかも同一人物の筆になるような錯覚を与えることができる。

こういったメンミツな伏線をいたるところにはりめぐらした。出版社に勤務するブタノにとって、簡単なことであった。

さらに、ブタノは、「コンド・シロミズ」というペンネームで、グロチカ誌に連載小説のかたちで告白的マゾヒズム自伝を執筆中であったから、文章を書くことにはなれっこになっていた。マゾヒストである沼正三と同じく、被虐的快楽を体験しているブタノにとって、沼正三にバケることなど、あさめしまえだったのである。

では、ブタノが『グロチカ』に連載していた、告白的自伝とはいかなるものだったのか。ここにその概要をしるそう。

まず「スパルタ的調教・上」として「奴隷(セルウス)は人間(ホモ)なの」(これは『或る夢想家の手帖』にある)という副題がつけられている。

ブタノは、マゾヒスト的マゾヒストと区別したかったらしく、インテリ的マゾヒスト(もっともマゾヒストは圧倒的にインテリが多いといわれている)を気どって、冒頭に、「無目的な倦怠の時代」をいちおう、なげいてみせてから、

「注釈者のほうはうじゃうじゃいるが、著者となると大払底だ」

とタンカを切り、「意図的に仕組まれた、衝撃主義から導き出されるものは、ただ、煩瑣(はんさ)な注釈書の類型ばかりである」と語って見せる。

ちょうど、このころ、ブタノは、ヤプーの偽造に熱中していたことである。(『ヤプー』初版が発刊されたのは2月10日である)注釈がいちじるしく多いヤプーを執筆中のブタノが、注にこだわっているのが感じられるが、それにしても、ブタノが偽造の『ヤプー』を製作する時、その仕事のほとんどが、新しい(注)づくりであったことを思えば、それはナットクできるのである。

さらにブタノは、変質者の告白について、

「変質者とは、どこか暗がりに隠れたる無気味な何者かではなく、告白者たる貴方(あなた)自身が最大の変質的倒錯者だ」として、「ローマ貴族のプロレタリアに対しての特権的日常」をもっともらしくしるしている。

それは、

「汝は陰茎を舐(な)めねばならぬ---ただし、清浄でかぼそいワシの陰茎でなくて、エルサレムから貢物(みつぎもの)を納めにやってくる男の、あのスゴいやつを」

をかかげて、「無産者の性風俗」などをひけらかしているのだが、これは沼正三が『奇譚クラブ』に書いた『手帖』からのぬきがきなのである。

いっぽうでヤプーを偽造するブタノは、はんぶん、沼正三になりきってしまったらしく、ヌケヌケと、かつての沼正三の世界を盗みはじめたのである。

ケッサクなのは「ある女子大生の場合」とめいうった告白記事があって、これを書きはじめたころから、ブタノは、沼正三の代理人からすすんで沼正三そのものになりきろうとしてきたことである。その告白記事は木村耀子(仮名)というサディストが登場(木村嬢なる女性と私は、ちょっとした面識がある)して、コンド・シロミズことブタノを調教するはなしなのである。(ほんとうの木村嬢は、T大出の正常なる才女であって、しごく、まともな女性なのであるが)

まず、ブタノはA子に手紙を書く。これは巧妙な二重のおとし穴のある手紙であって、「知恵おくれの弟」をもつ兄の立場を設定したものである。それは三十歳をはるかに越した成人男子でありながら、精神年齢は幼児なみの弟であって、その弟をきびしくシツケてもらう依頼なのである。

実際は、ブタノの一人二役が演じられているわけで、ブタノの巧妙なからくりを、自慢げに告白しているものなのである。

さらにブタノのカラクリ巧妙であって、その手紙に「第一回ぶんの謝礼」として五千円札を同封したのである。これなら、すげなく断わるワケにもいかないではないか。ブタノは、この五千円札を「ウムをいわせぬひとつの投げ餌(え)だ」と述懐している。

この体験記は、『グロチカ』の3月号ではさらにすすんでいき、「スパルタ的調教・下/なべて女は」---となるのだが、それは、ブタノの計画がマンマと図にあたり、木村耀子に弟のブタノ・ケンサクがシツケられる様子をくわしく書きつづったものなのだ。

一回に二千円ずつもったケンサクは、木村耀子を訪れて、まるで動物のように調教をうけるのだ。調教は廊下の床みがきからはじまって、便所そうじまであった。耀子は、物差しをもっていつも、ケンサクのうしろに立っており、ちょっとでもケンサクの態度が気にくわないと、すぐに打つのである。

コンド・シロミズことブタノは、そのことをつぎのように述懐している。

---いまひとつ、彼女が大胆であったことは、私もトイレそうじにかかる前に、まず、用を足すことである。耀子は、自分で用足したそのあとを、私に清拭を命じた。水を流すだけでなく、雑巾でこすらなければならなかった。奇妙な興奮でうわずる気持ちが私にあった。私はかがみ込み、便器の縁に膝をつき、四つんばいになって金カクシの裏側をふき、タイルの前方から後ろへすりきれた雑巾を当て、手でこすった。いつも彼女らの放射をまともにうけ、そのしずくが流れおちるあたりの白い陶器の輝きは、イカの白身を見るように純白に光っていた。そのため目立って、幾筋もの抜け毛が抜けて、湿ったタイルに張りついているのがエロチックに見えた。

イカの白身みたいにテカテカ光った便器、という表現が、妙に鮮烈に私の胸にやきついてしまった。それは、体験した人間にしか、とっさには思いうかべられない、表現のように思えた。

『グロチカ』にのったブタノの告白記事は、それなりに、マゾヒストのケッサクといわねばなるまい。投げ餌としての五千円。さらに一人二役を演じる着想。白いイカのような便器。

読者諸氏よ。この三つの点は、実は、ブタノがこれからしくんでいく「沼正三のっとり事件」をとく重要なカギになるのである。じつは、この三つの点こそ、ブタノがくりかえして利用した「カギ」であり、同時に、それが命とりにもなっていくのである。

・・・次号更新【風俗奇譚(昭和45年7月臨時増刊号)小説 沼正三【著:嵐山光三郎】:連載5】に続く