駐日イラク大使と『ノアの方舟』に関する打合せ

駐日イラク大使と『ノアの方舟』に関する打合せ

◆異相の呼び屋・康芳夫:なぜ、康芳夫は自らペテン師になったか

「欺してごめん」安部譲二(クレスト社・1993・12)

【『ノアの方舟』発掘計画】

昔の舎弟から、康芳夫にいい後援者になってもらっていると聴いてから半月も経たない間に、別のホテルのロビーで仲の良かったヤクザに偶然出喰わした。

いきなり、

「アラビアの戦争は、いつ頃結着がつくと見てる。エ、兄弟・・・」

と、言ったのには、何か冗談なのかと考えてしまった私だ。

それに、この私よりひとつ歳下のヤクザは、とてもいい仲にしていたのだが、盃ごとはしていないのに、構わずいつでも兄弟、兄弟と無邪気に叫ぶのが困る。

「いやね、戦争が終わって、『ノアの方舟』の旦那が一緒に探しに行ってくれと言ったら、義理があるんで行かなければ笑われちまうんだ」

アラビアは熱くて砂漠で、何もない非道い所なのだろうと、そんなことをその武闘派の喧嘩師が、ホテルのロビーで真剣に訊くのには、私は、無惨やこの男伊達も脳梅が出たと思って、一緒に修羅場を闘った仲だから気の毒で堪らなかった。

「娘に訊いたらよ、ノアの方舟ってのは、金や宝物なんかではなくて、動物を番で積んだ船と言うから、そんなもん、そんな遠くまで出かけて掘ったところでどうなるもんかね、兄弟」

いつでも寒い時は黒の厚地の革ジャンパーを着て、葬式や事務所開きといった義理の時でも、よくよくでなければ礼服や紋付きは着ないで、戦闘服替わりのものを着ている昔気質のヤクザなのだ。

「なんだあ、そのノアの方舟ってのは・・・。俺の務めている間と、くすぶっている間に、そんなことを言うようになったのか。そりゃ、一体、なんの話だ」

と、私が訊くと、五十歳になった今でも、若い頃と少しも変わらない闘志を持ったそのヤクザは、ポツポツと脈絡のない話を始めたので、急所を掻い摘んで聴いた私、十五分も経たないうちに、だいたいのことは分かった。

康芳夫は、何年か前から、こんどはイランかイラクかその辺りの砂漠に埋まっているとされる聖書に出てくる『ノアの方舟』を発掘しよう、という計画を立てているのだそうだ。

だが、あいにくというのか、塩梅よくというのだろうか。イラン・イラク戦争が始まったので、探検隊は出かけられないままなのだが、終わればいかないわけにはいかないだろう。

康芳夫に恩義があるという、この関東でも喧嘩師として名の通ったヤクザは、戦争が終わって頼まれれば、断るわけにはいかないので、たまたま十何年かぶりで顔のついた私に、いきなり見通しを聞いたのだった。

「十九の女子大生がよう、四〇〇万の外車を買ってくれたら、今一年生だけど、卒業するまで付き合うって、そう言うんだけんど、すぐアラビアに行って砂漠に埋められちまったんじゃ、堪んねえよ」

と、そういう事情だと言ってから、頬や額に肉が分厚くついている顔を、見る間に赤くして、

「いんや兄弟、俺が損だなんて、ヤクザは死ぬのも仕事だから、そんなことは言わねえんだ。そんな娘っ子がだよ、わずかの期間の仕事で四〇〇万も稼いだら、将来のためにならねえさ。アマチュアはそんないい思いをすると、味を占めて一生の患いにならあ、な、兄弟そうだろ」

赤くなった肉の瘤がついている顔を見て、私はあらためてこのヤクザが好きになった。

そしてそれからすぐ、一〇日ほどで、私は康芳夫に会ってしまう。

会った、ではなくて、会ってしまった、と言わなければならないのは、会って私が損をした・・・というより、頼まれて譲歩させられてしまったからだ。

・・・以上 2015.11.10発行 NO:0028【異相の呼び屋・康芳夫「欺してごめん」安部譲二:連載3】虚実皮膜の狭間=ネットの世界で「康芳夫」ノールール(Free!)より抜粋