「アリ対猪木」「人類猿オリバー」をプロモート
石原慎太郎先生を団長とする「ネス湖探検隊」は、昭和四十八年に出発したのですが、
「ノアの方舟探検隊」は湾岸戦争もあって、平成十三年の現在に至るも、まだ出掛けてはいません。
ここで康芳夫の天才的で、雄大にして奇抜な発想を、古い順に読者に御紹介しましょう。
昭和四十四年。
出版を志して、「池田大作を裁く」「松下幸之助を裁く」「宮本顕治を裁く」を、次々と発刊しました。
御存知のように池田大作は、創価学会のドンで、松下幸之助はナショナルの創立者、そして宮本顕治は共産党の親分です。
三冊ともベストセラーになったのですが、康芳夫にとってはウハウハするほど儲からなかったようで、他の濡れ手に粟の仕事に目を向けました。
そのままずっと出版をやっていれば、きっと今頃は、「デビ・スカルノを裁く」とか、「亀井静香を裁く」なんて、ベストセラーを出し続けていたのに違いありません。
昭和四十七年。
日本国籍の男としては初の「クレイ対フォスターの世界ヘヴィー級タイトルマッチ」を、プロモートしました。
クレイはカシアス・クレイで、後のモハメッド・アリです。
昭和四十八年。
「トム・ジョーンズ東京公演」をプロモートし、「ネス湖探検隊」をスコットランドへ送りました。
昭和四十九年。
自著「虚業家宣言」を出版して、実業家ではないことを明らかにしたのです。
こんな宣言をすれば、出資するスポンサーがいなくなるのが普通ですが、康芳夫は、普通の男ではありません。
昭和五十一年。
「モハメッド・アリ対アントニオ・猪木、格闘技世界一決定戦」をプロモートすると、返す刀で「人類猿オリバー」を、どこかからか康芳夫は日本に連れて来ました。
ボクサーのモハメッド・アリに対したプロレスラーのアントニオ・猪木は、最初から終りまで背中をキャンヴァスにつけて、両足で蹴飛ばすという真に詰らない試合でしたが、康芳夫は笑いが止まらないほど儲けたのです。
・・・次号更新に続く