虎と空手武道家の死闘ショー:東京中日新聞(昭和52年1月6日 木曜日)

虎と空手武道家の死闘ショー:東京中日新聞(昭和52年1月6日 木曜日)

”呼び屋”の康芳夫が企画した”虎(とら)と人間の死闘ショー”に対し四日、スイスの世界野生動物保護協会などから”待った”がかかったが、康氏は、五日東京・半蔵門のダイヤモンドホテルで「ショーは予定通りやる」と、大見えを切ってみせた。

虎と空手武道家の死闘ショー:東京中日新聞(昭和52年1月6日 木曜日)

虎と空手武道家の死闘ショー(17):ブリジッド・バルドーの介入

そんな気持ちのたかぶりを感じていた試合開始の四日前の朝、突然、私の部屋の電話がけたたましく鳴った。相手はハイチ政府の高官だった。この時、こんな朝早くから何だろう、とベッドから離れる寸前、ふと不吉な予感が脳裏に走ったが、それはみごとに的中してしまったのだ。

電話口に出たハイチの高官は唐突に「試合は大統領の命令で中止する」と冷たく言ったのだ。

「えっ」と驚きの声をあげた私は、着の身着のままで政府の建物に直行した。当然のことながら猛烈に抗議し、説明を求めた。いったい、いま頃なぜなんだ!約束がちがうじゃないか!大統領に会わせろ!と大声を張りあげ政府高官に迫ったのだ。

しかし、実は怒り心頭で興奮していた私だったが、この予兆のようなものをハイチに入国した時からかすかに感じとっていたのだ。何かがちがっていたのだ。入国してから予定した大統領の拝謁もいまだ実現していない。準備期間や入国当初はとても親切で協力的だった警察や軍関係のハイチ支部の連中の態度が、なぜかしだいによそよそしくなってきていた。着々と準備は進行していたのだが、流れる空気が微妙に変化しているのを感じとっていたのだ。

淡々と説明する政府高官の話をようやく気持ちを静めて聞くことができた私は、その内容に「うーん」と一瞬、口をつぐんでしまった。

・・・虎と空手武道家の死闘ショー:続く