ロス五輪放映権”呼び屋”康氏の爆弾発言「某民放が独占」にテレビ界は騒然:東京タイムズ(1982年(昭和57年)8月4日 水曜日)

ロス五輪放映権”呼び屋”康氏の爆弾発言「某民放が独占」にテレビ界は騒然:東京タイムズ(1982年(昭和57年)8月4日 水曜日)

呼び屋・康芳夫、テレビ局を走らす---二千四百万ドル対千五百万ドル。値段の折り合いがつかないままデッドロックに乗りあげているロサンゼルス五輪のテレビ放映権をめぐり、かつてチンパンジーのオリバー君招へいなどで話題をまいた”呼び屋”康芳夫氏が、二日、「日本のある民放局の依頼で自分がロス五輪委と交渉、権料千九百万ドル(約四十七億五千万円)で話がまとまった。近々その民放局代表が訪米、自分が立会人となって正式調印する」と爆弾発言、NHK-民放一本化交渉を何度も確認しあっている関係者を大あわてさせた。三日早朝からあわただしく情報収集に走りまわったNHK、民放各局首脳は、同日夕刻、「康氏の背後にだれがいるかは不明だが、民放局が独占放映に動き出している事実なし。今後もNHK-民放結束して交渉にあたる」との結論を出し、騒ぎは一段落したが、康氏の爆弾発言も狙いはどこにあったのか、周辺をレポートしてみると---。

”電波謀略”五輪の怪 結束固い日本に揺さぶり ロス五輪委が仕掛け?

ロス五輪電波謀略・・・2

翌日、あまりの反響の大きさに、必死で民放各局が否定会見を行い、NHKの「シマゲジ」こと島桂次会長は「どこが抜け駆けした!」と血相を変えて激怒したらしい。その後も各局、水面下で「もしやあの局が動いたのでは」と、しばらくお互いの腹を探りあい、怪謀略の動きを血眼になって追っていた。

当時、NHKと全民放局が結束し共同交渉をロス五輪委員会と行っていた。しかし、当初法外な一◯七億円という大金をロス五輪委員会が請求、日本側は拒否しつづけ、その後も数回にわたってダンピング交渉を重ね、委員会側も値下げしたが、最終的な日本側が希望する四◯億円とロス五輪委員会側の五二億円との間に一二億円もの差があり、交渉は凍結、決裂寸前の状態だった。

「このまま、日本でオリンピックを見られなくなるのは残念。そうならないようこの交渉を進めた」と取材にも答えたように、私は顧問弁護士のロバート・アラムを介して、副委員長のミカエル・オーハラやピーター・ユベロスに接近、この日本側の共同交渉との間隙を縫って「独占放映権」の獲得に成功したのだ。

・・・ロス五輪電波謀略:続く