都市出版社版『家畜人ヤプー』(1970年発行)

畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之・・・その1

世を忍んで書きつづける作家たち。

なぜ隠遁するのか、なぜ姿を現わさないのか、それは定かにはわからない。おそらく隠遁作家のイデオロギーが時代ごとに異なるぶんだけ、アイデンティティ隠匿の理由とやらも千差万別なのだろう一九世紀中盤のアメリカにはエミリ・ディキンスンのような隠遁詩人がいたし、現代ではいずれもディキンスンの賛美者として知られる隠遁小説家としてJ・D・サリンジャーやトマス・ピンチョンの名が挙げられる。しかも、中にはポスト・ピンチョンの代表格ジョン・カルヴィン・バチェラーのように「ピンチョンはサリンジャーの別名だった」と叫ぶ作家もいるほどで、こうなるとアイデンティティ隠匿がアイデンティティ撹乱の事態さえひきおこしているというべきか。

ただし、隠遁作家はいたずらにそうした混乱を楽しんでいるわけではあるまい。

それは、男性作家を名乗ることで活躍の自由を得た女性隠遁作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの例に顕著なように、隠遁作家がまさにその不在そのものをひとつの強力なレトリックとして、まちがいなく高品質で想像力・批判力旺盛な作品を読ませてくれることからも明らかだ。

こう考えるとき、まさに隠遁作家であるがゆえの間ー文化的暗合を感じざるをえなかったふたつのテクストが思い出される。ひとつは一九九〇年、米国メタフィクションの巨匠ピンチョンが発表した第四長編『ヴァインランド』。その中に、アメリカ白人女性を中心とするフェミニスト軍事集団<九の一(クノイチ)アテンティヴズ>が、『北斗の拳』まがいの必殺技で日本人男性を仮死状態へ陥らせ、のちに彼タケシ・フミモタは彼女たちの東洋的鍼療治ハイテク機械<パンキュートロン>を経てフェミニスト的洗脳をうけていくというエピソードがある。

・・・畜権神授説・沼正三『家畜人ヤプー』と日本神話の脱構築:巽孝之 より・・・続く

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奇書「家畜人ヤプー」覆面作家はどちら?・・・読売新聞(昭和57年(1982年)10月2日)

奇書「家畜人ヤプー」覆面作家はどちら?・・・読売新聞(昭和57年(1982年)10月2日)

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