ロス五輪に割り込んだ”騒動師”康氏:スポーツニッポン(昭和57年8月4日)より抜粋

ロス五輪に割り込んだ”騒動師”康氏:スポーツニッポン(昭和57年8月4日)

ロス五輪電波謀略・・・1

私が仕掛けた数々の「虚業」シナリオの中に、日本中のメディアを瞬時に撹乱させた「ロス五輪電波謀略」がある。これも契約寸前で中断したが、いまあらためて思いかえしてもささやかな退屈しのぎとして思わず苦笑いしそうな思い出だ。

ロサンゼルスオリンピック開催を二年後に控えた一九八二年八月二日、東京の某所で私は、突然、爆弾記者会見を開いた。「ロス五輪の放映権を日本の某民放局が独占契約をする。放映権料は四七億五〇〇〇万円。私がウィットネス(立会人)となり、ロス五輪組織委員会委員長、ピーター・ユベロス氏と某民放局代表が五日にロサンゼルスで調印する」と平然とした顔で言いはなったのだ。集まった記者たちが驚いたのは言うまでもない。NHKはじめ民放各局が蜂の巣を突ついたような大騒ぎとなったのだ。新聞各紙も「どの局だ?」「◯◯の専務が動いたのでは?」と憶測情報が乱れ飛んだ。

・・・ロス五輪電波謀略:続く