この世の妙味は虚実皮膜の間:毎日新聞(2009年10月24日)より抜粋
「僕には東京五輪誘致の秘策がありましたよ。えっ、石原(慎太郎都知事)サンが聞きに来たかって?なかったねえ。教えてほしいといえば、喜んで伝授したけどね」
モハメド・アリを招いてのボクシング・ヘビー級戦(1972年)や、絶大な人気を誇った歌手トム・ジョーンズのコンサート(73年)など、70年代のカルチャーを語る上で欠かせない数々の興行を手がけた。五輪との関係では、ロス五輪(84年)開催の2年前、実現しなかったものの、独占放映権の獲得を画策して騒ぎとなったこともある。「五輪のウラのウラまで知り尽くしている」と胸を張るゆえんだ。そういえば、<石原知事がIOC総会で「舞台ウラの取引でリオデジャネイロに決まった」と発言した>と海外メディアに報じられて一騒ぎになりましたっけ。
興行の世界に入ったのは半世紀近く前、東大在学中に知己となった石原氏が取り持った縁だった。今ではこわもての石原氏だが、昔はちゃめっ気があったらしい。
「ネッシー探検隊ね。総隊長を引き受けてくれたのが当時衆院議員の石原サンだった。面白がってくれたよ」。トム・ジョーンズの公演が大成功を収めた年の秋、スコットランドはネス湖の怪獣、ネッシーを「捕獲」する一大プロジェクトを仕掛けた。「日本の現職国会議員に率いられた一団がネッシー生け捕り作戦のためネス湖に押しかけたということで、世界中のメディアがこぞって取材にきた。取材しなかったのは『人民日報』ぐらいだったね」
猛烈なバッシングが起きたという。「ネス湖は英国人にとって神聖な場所なんです。そこをカネにあかして東洋人が荒らしに行ったわけですから批判の嵐ですよ。石原サンが弾よけになってくれたようなもの。そういえばその後、都知事選に出て負けたんだけど、『ネッシーのせいだ・・・・・・』なんて言ってましたっけ。フフフ」。クールすぎる。その3年後には、人間かチンパンジーかで論議を呼んだオリバー君を日本に招いた。どう見てもヒトの面相ではなかったが、紳士として一流ホテルのスイートルームに宿泊した。
「ウソかホントかということに関心はない」なんていうことをしれっと口にする。
「『虚実皮膜の間』にこそ、おもしろみがある。絶対的真実はない。真実だと思っていたことがフィクションだったり、その逆だったりする。だって資本主義自体、フィクションだったでしょ?」