康芳夫「世間の常識にとらわれていたら、おもしろい企てなんて実現できません」引き寄せる人間力:週刊大衆(2016年09月19日号より)

康芳夫「世間の常識にとらわれていたら、おもしろい企てなんて実現できません」引き寄せる人間力:週刊大衆(2016年09月19日号より)

僕が、呼び屋(プロデューサー稼業)を始めたのは、東大の学生だった60年代初頭からです。東大の五月祭で企画委員長になった僕は、映画化もされた小説『太陽の季節』で一世を風靡した石原慎太郎や芸術家の岡本太郎、詩人の谷川俊太郎らを呼んで五月祭を大成功させました。

そんな御縁から、石原慎太郎監督の映画「二十歳の恋」で助監督を務めたこともあります。助監督といっても下っ端だけどね。当時は大島渚監督や若松孝二監督とも親しくしていて、“映画に出ないか”と誘われました。場合によっては、僕と顔が似ているとよく言われる内田裕也君と共演していたかもしれません。

TBSで『寺内貫太郎一家』や『時間ですよ』を手がけたスター演出家の久世光彦君は、東大時代に同級でした。彼からもよく“ドラマに出ないか”と誘われたものです。監督から指示される演者という関係がおもしろくないから全部断っていたんだけど、今にして思えば、大島や若松の映画には出ておけば良かったよね。

僕は72年に、虚業家としてモハメド・アリを初めて日本に呼びました(マック・フォスター戦)。アリを極東に呼べるなんて誰も夢にも思わなかったわけだけど、僕にはできたわけです。石原慎太郎隊長によるネッシー捕獲探検隊を結成したり(73年)、チンパンジーと人間のハーフとして話題になった「オリバー君」を日本に連れてきたり(75年)、アントニオ猪木VSモハメド・アリの異種格闘技戦も、実現できました(76年)。

市民社会の常識から考えれば、どれも無茶な企てばかりです。世間の常識にとらわれていたら、おもしろい企てなんて実現できません。マネージャーや弁護士、時には裏世界の住人ともややこしい交渉をしながら、不可能を可能にしていくわけです。革命運動に熱中するのも女に熱中するのも、オリバー君を呼ぶのもアリを連れてくるのも、僕に言わせれば暇つぶしであり、全部リビドー(性的衝動)の発散なんです。

僕は80年代半ば以降、表舞台での仕事をやめて裏側に引っこんじゃいました。呼び屋をやめた最大の理由は、電通や博報堂がオリンピックをはじめ、あらゆるイベントを機能的に牛耳るようになったからです。そうなると、個人の虚業家が出る幕はありません。電通がハンコを押せば何でも話が通る。そんな事務的なことじゃ、おもしろくもなんともない。

康芳夫「世間の常識にとらわれていたら、おもしろい企てなんて実現できません」引き寄せる人間力:週刊大衆(2016年09月19日号より抜粋)

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