もうひとりの呼ぴ屋、康芳夫は、ビートルズ来日公演のニュースを快く思っていなかった

ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た 伝説の呼び屋・永島達司の生涯(幻冬舎)

神彰のパートナーとなり、ジャズのソニー・ロリンズやアラビア大魔法団の興行を打ち、呼ぴ屋の世界ではやっと名を知られる存在になっていたにもかかわらず、一九六六年の話題はビートルズと永島達司のことでいっぱいになってしまったからだ。興行の世界の話題作りでは自他ともにナンバーワンを標榜する康が、それをほっておくはずがない。彼は神に進言して「ビートルズ騒ぎ」を吹き飛ばす大バクチを打つことにしたのである。

それがインディアナポリス・インターナショナル・チャンピオンレースの日本開催であった。F1と並ぶ世界的な自動車レースであるインディ500マイルレースを初めて日本に持ち込むという壮大な夢の企画だった。

康はアングラマネーをかき集め、アメリカへ飛び、マフィア系のブローカーに一億円以上の手付け金を払って三十三台のインディレースカーと外国人ドライバーを招聰することに成功した。

この時、来日したドライバーにはジム・クラーク、グラハム・ヒル、マリオ・アンドレッティ、ジャッキー・スチュアートといった世界的ドライバーも含まれており、海外のテレビ局が取材班を派遣してくるほどの大イべントとなった。入場料が最も高いロイヤル席三万六千円から二千円の自由席までを用意し、インディガールと名づけた日本で最初のレースクィーンたちを会場にバラまいたのも康のアイデアである。彼は記者発表の時に、会場の富士スピードウェイに「十万人を集めてみせる。ビートルズなんて、もう過去のことだ」と大見得を切った。

開催前日のこと、すべての準備が終わり、康が宿舎のホテルに戻ったとたん、大雨が降りだした。「もはやこれまで。こりゃ大損だ」と勝負を投げた彼は明け方まで酒を飲み、そのままふて寝することにした。ところが当日の朝、揺り起こされて外を眺めたら、一転、日本晴れとなっている。とたんに元気を回復した彼は、チャーターしたヘリコプターで観客のやって来る様子を空の上から確認することにした。

・・・以上、ヤァ!ヤァ!ヤァ!ビートルズがやって来た 伝説の呼び屋・永島達司の生涯(幻冬舎)より抜粋

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康芳夫/神彰

康芳夫/神彰

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