真相は藪の中だって!?冗談じゃない。倉田氏よ、貴兄の唯一最大のミスは、代理人に己の人格まで譲り渡したことだ

『諸君!』昭和57年(1982年)12月号より

『諸君!』昭和57年(1982年)12月号より

まず読者に、一つの事実を明らかにしておきたい。

前号ではふれなかったが、あの一文を世に問う前に、私は編集部の協力を得て、ごく最近、倉田氏が知人に宛てた一通の手紙を入手した。その筆跡を、私と文通していた当時の沼正三のそれとひきくらべてみると、素人目にも明らかに、同一人の手になる筆跡であった。念のため専門家をわずらわせて調べてみると、こういう回答を得ることが出来た。

「二つの資料のあいだには、九〇%以上の確率をもって類似性が認められる」

つまり、九割方「沼正三=倉田卓次」であることになる。ちなみに、その筆跡鑑定専門家によれば、「通常、七〇%の類似性があれば同一人物の筆跡であるとみなす」という。

この一事をもってしても、二十六年前『家畜人ヤプー』の構想を書いて寄越した「沼正三」が、倉田氏以外の何者でもないことは明明白白であろう。

「私が作者である」と名乗りをあげた天野哲夫氏は、『ヤプー』の構想がしたためられた右の手紙のコピーを『週刊文春』記者に突きつけられ、狼狽を隠せなかったというが、さもありなん。同誌十月十四日号にこうある。

<「うーん」

と、天野氏は一瞬絶句。

「確かに、倉田さんの宇によく似ていますね。この手紙を見せられたら、手紙の主が作者だと考えるのは不思議はないですよ。しかし『ヤプー』を書いたのは僕なんだ。

どうしてこんな風に(作者でもない倉田さんが『ヤプー』の構想を=森下註)書いたんだろう・・・・・・。ショックです。驚いた。今は頭が混乱してますので、頭をほぐしてから、倉田さんに連絡をとってみます」>

天野氏が倉田氏に連絡をとったその結果を是非知りたいものだが、二十六年前の筆跡を今さら改変するわけにもゆくまい。

・・・次号更新【『諸君!』昭和57年(1982年)12月号:「家畜人ヤプー」事件 第二弾!倉田卓次判事への公開質問状:森下小太郎・・・連載20】に続く