森下君は実は何にも知らないのだ・・・・・・(2)
私のペンネームが四つ五つありながら、当人は実は一人というのと、ただ一つの沼正三のネームに、実は,四つ五つの、あるいはそれ以上の人格が蔵されていた、というのと、皮肉な対照である。
ついでに言えば、まだある。実在の文献紹介が克明に報告してあったりするのが実は創作であり、架空の小説のように面白おかしく述べるくだりが実は貴重な実際の文献を踏まえてのものであったり、沼正三は投稿者各位の協力をも得ながら、悪戯の限りを尽した(お断りしておくが、K氏がその一人というのではない。氏は原稿そのものを書いたことは、一度としてない)。どこが実でどこが虚であるか、読書人士に絵解きをして頂ける娯しみも籠められていた。森下君が言うような、真相を知る者は、自分と代理人・天野と亡くなった吉田氏の三人だけだとの強調はまこと空しい。森下君は、実は何にもご存じないのである。知る人は他に四人も五人もいるのである。真に知る人は沈黙し、知らぬが故に声高に叫ぶ。これも皮肉な対照である。
・・・次号更新【「家畜人ヤプー」贓物譚(ぞうぶつたん)・・・『潮』昭和58年(1983年)1月号より・・・連載6】に続く