康芳夫

ノールールの時代に突入しようとしているのに、決まった人生の正解があるかのように

ノールールの時代に突入しようとしているのに、決まった人生の正解があるかのように、あまりにあっけなく「人生の答え」らしきものがさらっと示されてしまうのは何なのだろう。試験の答案のように人生に答えなど本当にあるのがろうか。現代人のマニュアル志向がこうした状況にいっそ拍車をかける。そして人生の答えらしきものや常識的なものばかりを追い求めると、その人の人生は他人のそれと似た狭隘ものになる。

常識もまた時代が作り出したフィクションに過ぎないのであれば、それを絶対視することなどなく、常識のフレームを乗り越え、壊していくことにこそ人間本来の生のダイナミズムがあるのだ。そこにこそ創造力が生まれ、人間にとっての本質的な遊びが生まれる。

そんな姿勢があれば、ありきたりの人生論は何の必要もないだろう。