マディソン・スクウェア・ガーデンにはすでに二万人以上の客が入っていた。しかも、今なお、ガーデンの回りを何千という観衆が取り巻いている。すでに席は売り切れているというのに。熱心なことだ。そういう連中をかきわけ、かきわけ、私はリングサイドに坐った。
回りは有名人のオン・パレードだ。フランク・シナトラが孔雀のように飾りたてた女を連れて坐っている。ハンフリー副大統領がいた。ノーマン・メイラーはもちろん、早くから席についてリング上を見つめている。プレイボーイ帝国の主・ヒュー・ヘフナー。女優のカトリーヌ・ドヌーヴ。北アイルランド闘争の指導者バーナッド・デブリン嬢。
そして、そこからかなり離れた後ろの席に私は神さんを見出した。私はカッと頭に血がのぼった。もし、あれほど満員でなかったら私は神さんのところへ飛んで行き、胸ぐらをつかんで、パンチの一、二発、お見舞い申し上げていたかもしれない。
神さんが、私の後を追うような型でニューヨークに来、かなりきわどいやり方でハーバートに迫っていることを、私はハーバートの口から遂一、聞いていた。
前のときの契約書に、
《もし、徴兵問題にケリがついて試合が可能になったら、『アート・フレンド・アソシエーション』を通すことをコンシダー(考慮)する》
という条項があったのをタテにとって、神さんは、
「もし、康と契約したら、契約不履行で告訴も辞さない」
そう言って脅しをかけていたらしい。
だが、私は神さんのことは問題にしていなかった。すでに『アート・フレンド』は倒産しちまったんだから、そう思っていた。
ところが、よりによって、その日、クレイ戦の始まる四時間前、神さんは大変なことをやってくれたのだ。
契約不履行でクレイに十八億円の賠償を求める訴えを起こし、世界中から、この試合の取材のために集まった記者たちの前で発表したのだ。ドラマチックな効果をネラった大バクチを神さんは打ったのだった。さすがに神さんだった。そのタイミングの良さに、私は怒りとともにある種の畏れさえ感じたものだ。
だから、神さんの姿を認めたとき、私はカッとなったのである。神さんも、チラっと私の方を見たようだったが、故意に私を無視するように顔をそむけた。
私はクレイの勝利を確信していた。ボクシング記者の中にはクレイの勝利を危ぶむ声もあったが、私はここ数ヵ月、マイアミでトレーニングするクレイにくっついていて、クレイの偉大さをつぶさに見てきていた。スティング・ライク・ア・ビー、蜂のようにフレーザーを刺し、ノックアウトでクレイが勝つ、それ以外に考えられない。
私は大観衆の喧燥とザワメキの中で、しばし、試合前の興奮、劇場で幕が開く前のあの何ともたとえようのないスリルを、ひとり、味わっていた。
ゴングが鳴った。
第一ラウンド。クレイのジャブが何度かフレーザーを捉えた。クレイ優勢。クレイのみごとなウィービイングは全盛時と変わっていない。
第ニラウンドもクレイはよく動いてフレーザーを寄せつけなかった。
「スバラシイ!」
私は思わず声に出していた。隣の席の黒人が、「そうだね」とでも言うように、ニッと白い歯を出して笑った。
私が「オヤ」と感じたのは第三ラウンドである。フレーザーの突進から、クレイが逃げられないのだ。フレーザーのボディ・ブロウが、ビシッ、ビシッと重い音を立ててクレイの鳩尾に食い込むようになった。
四、五、六、七、八・・・・・・
クレイがKOを予告していた六ラウンドも何事もなく過ぎた。
だが、私は一瞬もリングの動きから目を離せない。
試合は一進一退を続けていた。時折、クレイが見せるスパラシい動き。だがフレーザーのパンチもかなり決まっている。
そして、あの第十五ラウンドになった。
フレーザーの左フックがクレイのアゴを捉えた。クレイが腰から崩れ落ちていく。ゆっくりと、まるでスロー・ヴィデオのように。クレイの目は、「コイツがオレを」とでも言うように見開かれている。だが、クレイの瞳から光は喪われていた。
私は自分の目を疑った。
信じられない。
観衆は総立ちである。
「立て、クレイ、立つんだ。立つんだ、クレイ」
私は思わず立ち上がって大声で叫んでいた。みんな叫んでいた。
その私の声が聞こえたようにクレイはカウント・スリーで立ち上がった。だが、腫れ上がったクレイのアゴを見たとき、私はもうダメだと悟っていた。それまで互角だった試合に、あのフレーザーの一発は、はっきり、ケリをつけてしまったのだ。
あまりにも高価なダウンだった。
リング・アナウンサーが告げるフレーザー勝利の声を聞きながら、私はこの四年間の闘いが水の泡になったのだと心の中でつぶやいていた。
米国第一級のスポーツ評論家・レッド・スミスは、このときの模様をこう報じている。
「打たれないクレイが打たれた。前代未聞の大試合であった。最後の一発はハワード印の野球バットで左からしごいたような強烈なフックであった」
だが、私の落胆は長くは続かなかった。
試合後のレントゲン検査を終えて出て来たクレイが、青い顔をして駆けつけた私の姿を認めると、ニヤッとウインクしながら、こう言ってのけたのだ。
「アイム・グレイテスト」
そうだ、クレイは偉大なのだ。
「フレーザーはグレイト・ファイターではない。ストリート・ファイターだ。勝負はオレが勝っていたよ」
試合を一つ失ったが、クレイはまったく変わっていなかったのだ。
余談になるが、試合後の検診でクレイには何ら、異常が認められなかったのに対し、フレザーは頭に出血の疑いが持たれ、フィラデルフィアの病院に入院。マネージャーのカンシー・デューランはフレーザーに引退を勧告したという。
私はクレイの敗戦によって、もう一つ、クレイの途方もない奥行き、人間としての深さを見せられた思いがした。クレイは永遠のチャンピオンだ。
だから、試合の翌日から、私は、またクレイ詣でを再開し、強引にハーバートを口説き続けた。
強引にと書いたが、ときには、私は競争相手の中傷までやった。牽制策の一つとしてある記者を通じ、『ニューヨーク・ポスト』に《誰それのプロモートしたタイトル・マッチにはマフィアがからんでいる》などと、書かせたことさえある。
「ダーティ・マナー」
競争相手の各国のプロモーター連中はやっかみ半分にこう評した。私がマフィアに脅かされたのは、まさに、そんな時期だった。
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1972年4月1日、武道館で極東初のヘビー級ボクシング、ムハマッド・アリvsマック・フォスター戦をプロモートしたのは、小生30数歳の時。小生が投じ得るすべてのエネルギーを投じ、財政問題、その他絶望的状況を乗り越えて実現したイベント。言ってみれば「僕の人生すべてを賭けた」イベント。
そのイベントの中心的存在が、遂にこの世から姿を消してしまったのだ。
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