ムハマッド・アリ突然の死に関する小生コメント #康芳夫
1972年4月1日、武道館で極東初のヘビー級ボクシング、ムハマッド・アリvsマック・フォスター戦をプロモートしたのは、小生30数歳の時。小生が投じ得るすべてのエネルギーを投じ、財政問題、その他絶望的状況を乗り越えて実現したイベント。言ってみれば「僕の人生すべてを賭けた」イベント。
そのイベントの中心的存在が、遂にこの世から姿を消してしまったのだ。
思えば北京オリンピックの時、彼はVIPとして招待を受け、小生も同伴して北京政府の国賓として訪中決定。然し、医者が飛行機に乗ることを絶対認めなかったので、この計画は実現しなかった。
それが彼との最後のイベント。
小生の中で最も大きな存在を失って、言葉が出ない。
いわゆるアリ猪木戦は1972年から4年後に実現したが、本人は勿論、マネージャーも弁護士も同一人物。猪木君は、小生が1972年にアリ招聘を実現させたことに刺激を受け、小生の協力のもとにアリ猪木戦をプロモート。
然し、何と言ってもその後、小生が、アリがレフリーの猪木アミン大統領戦を企画、アミン大統領統治下のウガンダ内乱の為、記者会見まで行っておきながら実現できなかった。これは今考えても、残念きわまりない。
当時、故赤塚不二夫君がアリ、猪木の熱狂的ファンで、若しこの試合が実現したら「僕はマンガ家をただちにやめる」と発言。その真意は、マンガの想像力を遥かに超える事件だったから。
いずれにしても、彼の突然の死は、小生の人生の大きな部分にポッカリ穴があいた感じ。
今日の段階ではこれ以上コメントする気になれない。後日改めて長文のコメントを出すつもりだ。
康芳夫
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アリ プログラム(ali world heavy-weight boxing mash 15R.1972・4・1 NIPPON BUDOKAN)より
唐十郎:『格闘技世界一決定戦観戦記』より抜粋・・・中央公論(1976・8)
アミン大統領、アントニオ猪木と対決:朝日新聞(1979年(昭和54年)1月26日 金曜日)
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