康芳夫

自分だけの道を見つけること、その一つの方法は私流の言葉で言うと、「虚人」になることである。

そもそも虚業とは、「一億総白痴化」など時代にまつわる数々の話題の造語を作ったジャーナリスト、大宅壮一が言い出した言葉である。大宅壮一は日本が高度経済成長を遂げていく中で実体経済と共に異様に膨張していく投機的金融経済やそれにハイエナのように群がり喰らいつくマスコミ、広告代理店、そして時代の徒花のような芸能人・文化人たちを揶揄を込めて虚業、および虚業家と呼んだのである。

しかし、私は世間で言うところの虚業家とはまったく違う場所に立っているつもりである。だから、そんな虚業家たちと区別するために、私は自分のことを「虚人」と名乗り、虚人としての生き方を追求していく「虚人主義者」を標榜しようと思う。

では、具体的に世間で言う虚業家と私の言う「虚人」とはどこが根本的に違うのか。

簡単に言うと、世間一般の虚業家たちは自分たちの虚の部分を本音ではけっして虚とは思っておらず、むしろ実体のあるものと思い込んでいるが、私にとって虚は何もない状態、ゼロという認識をしているところだと思う。このゼロとはいかなる思考も感情も、そして身体すらも入り込めない、徹底して何もなく、何の意味もないという、人の世界から見れば非情すらも通り越した冷徹な世界なのだ。

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