ニッポン最後の怪人・康芳夫

コロナウイルス・ネオファシズムの亡霊

コロナウイルスパンデミックに加速されネオファシズムの亡霊が世界中を席捲しつつある。

第二次世界大戦前、戦中、隆盛を極めたヒットラー、ムッソリーニ、日本軍国主義の亡霊が今や復活しつつあるのか。

アンクルトランプの登場と前後してヨーロッパ、アメリカ、日本を中心とする先進自由主義国家、そして一方ではロシア、中国、北朝等の独裁専制国家。

独裁国家のケースは別としていわゆる先進自由主義国家に吹き荒れるネオファシズムの嵐は世界中に吹き荒れるパンデミックに加速されて一体この先どうゆうことになるのか。

まさかヒトラー・ナチスの悪夢の再現に向かって突っ走るのか我々はあらゆる努力を払って、この再現しつつある悪夢の横行を阻止し第二次世界大戦以降多くの問題を抱えながら着々と培われた先進国市民社会民主主義政治制度の最小限の安定を死守しなければならない。

いわゆる先進国型ブルジョワデモクラシー議会制民主主義は制度として根本的改良を加えなければならない種々の欠陥を抱えこんでいるのはここに改めて述べるまでもないことだが、現段階ではこの制度の最小限の維持を確保するしか現実的方策は考えられない。

ネオファシズムの本質とは何か。それは人間の本質的部分に根ざす忌まわしい思い特質そのものである。いわゆる市民社会の安定が種々のトリッキーな弥縫策により最小限確保されている間はそれはかろうじて押さえ込まれているが、一旦「市民社会、の秩序が綻び始めるとたちまち胎動をはじめる。ナチス・ファシズムの中核を成したにおけるドイツ下層・中産階級を中心とする階層の集団的狂気の胎動はエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」(みすず書房)の的確な分析を待つまでもなく明白な歴史的事実である。

我々は決してこの人間の忌まわしい特質から目をそらしてはならない。何故なら歴史は繰り返すからだ。

日本国において数十年前発生した大阪教育大学附属池田小学校、秋葉原通り魔事件、最近では津久井やまゆり園の大量殺人事件は云うまでもなくファシズムと深く連動する人間の暗い本質に基づく忌まわしいケースに他ならない。恐らく今後この種の事件はグローバルレベルにおいて規模を拡大して続々発生するのは間違いないだろう。

小生はネオファシズムに関連して以前から警告を発し続けてきた。今から約30年前当時、磯崎新、柄谷行人、浅田彰を中心として刊行された「批評空間」に当時慶大助教授だった福田和也を小生が強引に口説いて「ハイデガーとナチズム」に関する論述を連載させたが流石の福田和也も問題のあまりのやっかいさに手を挙げて連載は暫し中断。そのうち「批評空間」が休刊となり連載は中断された。

ちなみに「ハイデガーとナチズム」は当初、現明大教授の中沢新一が執筆に非常に意欲を示したがやはりテーマの余りにやっかいな内容、そして当時彼が巻き込まれていた「オウム事件」等を理由に執筆を回避して小生との連絡を断った経緯がある。

「ハイデガーとナチズム」問題は二十世紀最高の哲学者とされるハイデガーのブラックホールとされ戦後本人もこの問題に関して沈黙を守り続け、サルトルその他彼の高弟も一切沈黙も守り続けた。二十世紀最大の哲学界のブラックホールである。

ちなみに、ハイデガーの「ナチス入党問題」に関しては芥川賞作家、平野啓一郎の京大法学部時代の恩師が訳した「存在の政治(マルティン・ハイデガーの政治思想)」(岩波書店)リチャード・ウォーリン(著) , 小野紀明、他(訳)が問題の本質をそれなりについている。

一体我々自由民主主義の側はコロナウイルスのパンデミックをバックに世界中を席捲しつつあるネオファシズムの横行跋扈にどう対応したらいいのか。グローバルレベルで種々の事件が起きるごとに先進市民主義・民主主義の安直極まるエセ・ヒューマニズムのちゃちな騒音で轟々と鳴り響くネオファシズムの怪音を果たして防ぎきれるのか。

今こそ、いわゆる先進民主主義・市民主義国家における緊急極まる対応策として正しくネオヒューマニズム・ネオ市民主義・民主主義の確立が望まれるところだ。

我々はグローバルな観点からコロナウイルスパンデミックのどさくさに紛れて野心的なネオファシスト政治家が胎動し始めている状況を厳しく捉えなければならない。

・・・文中敬称略

草々 康芳夫