ニッポン最後の怪人・康芳夫

文春砲の歴史的由来

週刊文春名(迷)物スクープ「文春砲」が毎週鳴り響いていて、その都度いわゆる大物芸能人、スポーツ選手、最近では次期検事総長内定者が失脚するなど誠に世間で騒々しい限りだ。

今を去る四十数年前当時の月刊文春(田中健吾編集長(その後社長))が当時まったく無名だったかの立花隆をライターに起用。事もあろうに戦後歴代総理の内でもっとも国民的人気が高く且つ最大の実力者であった田中角栄をペンの力一本で総理の座から引きずり降ろしてしまったのだ。この時正に文春砲実質的第一号が本格的に誕生した事になる。

結果、日本国中が騒然となし当然国際的にも大きな話題となり一介のジャーナリストに過ぎなかった立花隆は一躍国際的認知を受けることとなり、いわゆる大新聞社の率いる辣腕記者連中の度肝を抜いたのだ。

この国際的大スクープ事件の一部始終を小生はその密接な目撃者として観察していたので、それに較べれば仮に今の文春砲が安倍総理の心臓部を直撃して、炸裂、安倍内閣を崩壊せしめたとしても、ましてや大物芸能人、官僚、財界人等が次々に失脚したとしても大して驚くほどの事でもない。

当時立花隆は週刊文春編集部を約二年で退任退社した後、いわゆる浪人生活を送っているところをこの世紀の大スクープ文春砲事件に先立つ数年前に「血と薔薇」創刊号編集長として小生がスカウトしたが責任編集者の澁澤龍彦が了承せずやむを得ず立花隆は「血と薔薇」編集部を去ることになった。

その後、澁澤龍彦は「血と薔薇」第三号で責任編集者を辞任し第四号編集長に平岡正明を起用しかの三島由紀夫が戦後最大の傑作にして怪作と評したかの「家畜人ヤプー」を掲載することとなった。

なお「家畜人ヤプー」は現在小生の管理下のもと幻冬舎で全五巻に分けて刊行中である。

この間の経緯の一部に関しては立花隆が週刊文春2019年12月26日号掲載「私の読書日記」で触れているが、前にも小生のBlogで修正した通り二箇所の記憶ミスがあるので改めて訂正しておく。

第一は当時の小生は東大生ではなく東大卒

第二は三島事件の準主役三島の首をはねた森田必勝を紹介したのは「血と薔薇」編集部ではなく、その後小生が創立した創魂出版編集部であり、森田必勝は「血と薔薇」編集部とは関係がない。

それにしてもこれだけ世間を騒がしている文春砲の行方は一体今後どうゆうことに相成るのか。

小生の結論は簡単にまとめると以下の通り。

文芸春秋社が経営的その他問題により閉鎖されるまで続く。このケースはちょっとあり得ないだろう。

次はテロ行為その他類似ケースにより文春がその圧力に屈して週刊文春その他の出版を一時中止するケース。これは言論の自由の大原則に鑑み絶対にあってはならないケースだ。

次は文春砲が読者に飽きられるケース。これはおそらくあり得ないだろう。何故ならいわゆるスキャンダルは売春と同様大げさに云えば人類が発生して以来、グローバルレベルにおいて人類最大の「関心事」だからだ。

いわゆる文春スキャンダリズムの輝かしい伝統は戦前文春創立者の菊池寛が創出したものだ。戦前から読者の厚い支持があり、戦後、菊池寛のよき後継者となった名編集者、池島信平によって引き継がれた。ただ両者共墓場の下で今の文春砲の行方に関してそれなりに案じているかも知れない。

文春砲が田中角栄スキャンダルスクープ以来現在に至るまでとどまることなく尖鋭化しているからだ。

彼ら二人はいわゆるスキャンダルジャーナリズムにおける文春的良識をそれなりに創り上げてきたのだが。然し大衆及び時代の要請というものはいつの時代にも必ず存在し仮に地下に眠る二人が今元気であったとしても、この時代の要請及び動向にはなかなか抗し難いのではないか。

草々 康芳夫

※文中敬称略